「一粒の種子」 GAUDETE 2016年02月号(本紙第20号)

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一粒の種子

2月5日(金)は、日本26聖人殉教者の祝日です。1月17日(日)、聖トマス小崎を記念する徒歩巡礼(三原~本郷)が行われました。

2月11日(木)には、広島キリシタン殉教祈念祭が祝われます。

三人の福者(フランシスコ遠山甚太郎マティアス庄原市左衛門ヨアキム九郎右衛門)を含む広島の殉教者たちの殉教碑(広島市西区己斐東一丁目)には、「 SEMEN EST SANGUIS CHRISTIANORUM 」とラテン語が刻まれています。聖テルトゥリアヌスのことばで「キリスト者の血は一粒の種子である」という意味です。

「もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のまま残る。しかし、死ねば、豊かに実を結ぶ。」(ヨハネ12・24)

一粒の種子の生き方は、「おのれを捨て、日々、自分の十字架をになって」(ルカ9・23)、殉教者たちのように、イエスの十字架にしっかりと結ばれていることです。

殉教祭を行い、巡礼をすることが、わたしたちが一粒の種子として信仰を証ししていくための力になりますように。

「いつも、毎瞬、今夜殉教者として死ななければならないと覚悟して、今日を生きること。《必要なことは、ただ一つ》。すなわち、いつも、一瞬ごとにもっとイエスのみ心にかなうことを行うこと。不断に殉教へと準備をし、身を守って防衛しようとする様子はいささかも見せず、その影さえもちらつかさずに、これを受託すること。」(シャルル・ド・フコー 「霊のあふれの手記」 沢田和夫訳)

なぜ、いつくしみの特別聖年を行うのか

ローマ教皇フランシスコ定めた「いつくしみの特別聖年」が2015年12月08日から開幕し約2ヶ月が経過しようとしています。第103号カトリック広島教区報(2016年1月17日号)で広島教区の司教座聖堂である世界平和記念聖堂の聖なる扉の開扉式の写真と記事が紹介され、各小教区においてもいつくしみの特別聖年を知らせるポスターやお知らせで特別聖年が開始したことをご存じだと思います。

では、「いつくしみの特別聖年を行う」意味は何でしょうか。

ローマ教皇フランシスコは、2015年12月9日の一般謁見より「いつくしみの特別聖年について」の連続講話を始められました。第1回目が見出しにあるように「なぜ、いつくしみの特別聖年を行うのか」というタイトルで講話をおこなっています。

ここではその講話の一部を紹介します。

教会には特別な時が必要です。わたしは、その特別な時は教会にとって良いものだと言っているのではありません。教会はその特別な時を必要としていると言っているのです。ものごとが根底から変わりゆく現代において、教会は、神が近くにおられることの目に見えるしるしを示し、特別な貢献をするよう招かれています。(中略)なぜなら、わたしたちは、神のいつくしみを思い巡らすことによって自らの確信を強め、さらに効果的にあかしできるようになるからです。神のいつくしみはすべての人間の限界を超え、罪の闇に輝くのです。(中略)

兄弟姉妹の皆さん。わたしはこの聖年の間、わたしたち一人ひとりが「神がもっともお喜びになること」をあかしするために、神のいつくしみを受けられるよう望みます。それにより世界が変わると信じるのは、考えが甘いでしょうか。確かに、人間的見地から考えると、それは愚かなことかもしれません。しかし「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い」のです(一コリント1・25)。

一般謁見の講話邦訳はカトリック中央協議会ホームページで見ることができます。

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