連載⑩「今、殉教を生きるとは?」

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 広島教区年間テーマ関係

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最終更新日:2017年2月1日

(4)遠山の親友マチアス庄原市左衛門

この庄原は苗字ではなくてふる里の地名だろうと思われます。

1590年頃の生まれで、1624年に殉教したときは34才でした。

1613年のキリシタン禁教令は本当に厳しいもので、当時アントニオ石田神父が広島に潜伏して関西の方まで活動していましたが、1617年に逮捕され投獄されました。その時、(一説によると)牢番の下級武士だったマティアス庄原市左衛門は、獄中のアントニオ石田神父から、国の方針に逆らった入獄の罪人と知りながら教えを請い洗礼を受け、その後1624年、遠山の殉教の翌日2月19日、同じく殉教しました。

刑場に連れて行かれる途中、ロザリオを唱え続け、一行が多くの見物人の集まった橋を渡るとき、大きな声で「キリストの教えの他に救いの道はない」と人々に呼びかけたそうです。自分が磔(はりつけ)にされる十字架を見上げ、大きな声で「めでたきかな、聖なる十字架クルスよ・・・」と十字架に賛美の歌を捧げながら死んでいきました。

備考



 

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掲載日2013年3月15日
更新日2017年2月1日
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推進・区分広島教区年間テーマ関係
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編集者web管理者(竹内)
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