02月02日 主の奉献(祝日・白)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 推進本部取組 / 第2の柱:きょうどう / 典礼暦

キーワード(索引語): 
最終更新日:2017年2月2日

主の奉献 (Presentation of the Lord)

Hans_Holbein_d._Ä._001

イエスが生まれて四十日後に、律法に従って両親の手でエルサレムの神殿でささげられたことを記念する祝日で、エルサレムでは五世紀に、ローマでは七世紀に祝われるようになった。十世紀からは西方の典礼書では「マリアの清めの祝日」と呼ばれるようになったが、一九六〇年の典礼刷新で、東方教会の伝統に合わせて再び「主の奉献の祝日」と名づけられた。

出典(転載)元

著作権物使用許諾

  • カトリック中央協議会(中央協著承PB第2013-4号)(2013年5月13日付)

禁止事項等

  • 当ページの記事の転載を禁じます(リンクすることは可能です)
  • 記事転載を希望の方は、著作権者である「カトリック中央協議会」に著作権物使用許諾申請してください

このページにある写真のライセンスは

聖書

ルカ福音書

Painted by Y.Okita
Painted by Y.Okita

神殿で献げられる(2・22-38)

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが”霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり

この僕を安らかに去らせてくださいます。

わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

これは万民のために整えてくださった救いで、

異邦人を照らす啓示の光、

あなたの民イスラエルの誉れです。」

父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせるためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。──あなた自身も剣で心を刺し貫かれます──多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。

関連記事

教皇フランシスコ

募集中

 



 

文書(ページ)情報

掲載日2014年2月1日
更新日2017年2月2日
閲覧回数4,259 Views
推進・区分典礼暦
タグ(索引語)
編集者web管理者(竹内)
次の記事
前の記事