信仰年が開幕します

カテゴリー(記事区分): 公文書 / 広島司教区文書 / 司教教書

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広島教区司教 前田万葉

教皇ベネディクト十六世は、第二バチカン公会議開幕 50 周年の 2012年 10 月 11 日から 2013 年 11 月 24 日の王であるキリストの祭日までを「信仰年」とすることを、自発教令『信仰の門』で発表いたしました。

また、この開始日は、「カトリック教会のカテキズム」発布 20 周年記念日でもあり、「カトリック教会のカテキズム」は第二バチカン公会議の真正な実りであることを強調しております。さらに、2012年 10 月に開催するシノドス(世界代表司教会議)総会のテーマも「キリスト教信仰を伝えるための新しい福音宣教」と決めています。

そして、教皇の命によって教理省から発表された覚え書き「『信仰』のための司牧的指示」の序文では、「『信仰年』は主イエスへの新たな回心と、信仰の再発見に役立つことを望みます。それは、教会に属するすべての者が、復活した主の信頼の置ける喜びに満ちた証人となり、多くの人を『信仰の門』を探すよう導くことが出来るようになるためです」と述べられています。

今年の教区サブテーマも「信仰からの奉仕 信仰への奉仕」として歩んできました。信仰年開幕にあたって、もう一度このテーマに沿った歩みを確認したいと思います。

1、「信仰からの奉仕」

①「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、・・・来たのと同じように」(マタイ 20・28)を家庭の中で、教会で、社会で実行し、「仕え合う仕合わせ=平和」の使徒となりましょう。イエスが、ご自分のことを「人の子」と言い切った背景には、イエスが「神でありながら人間となった」、つまり、「へりくだり」、「謙虚さ」、「思いやり=寄り添い」があります。私たちにも、この心、姿勢が必要です。また、「仕える」とは、イエスが最後の晩餐で教えた、「互いに足を洗い合う=大切にし合う=生かし合う=愛し合う」ことを意味しています。

②これが、宣教・司牧活動はもちろん、平和活動や社会問題に取り組む原動力とならなければならないのです。

③そして、その源泉と頂点が「感謝の祭儀=ミサ」なのです。自己満足や、虚栄心、善意の押し売り、他人を強制するような活動になってしまわないためにも、ミサからミサに向かっての活動とならなければなりません。 四角形で示される区画の中で、教会を象徴する船が波の上を進む。船のメーンマストの十字架とともに、3 つの帆が、キリストを表す 3文字(IHS)をかたどる。帆の背景の太陽は、IHSの 3文字とともに聖体を示す。③「信仰年」開催の告示『信仰の門』9でも、「感謝の祭儀=ミサ」は「教会の活動が目指す頂点であり、同時に教会のあらゆる力が流れ出る源泉」(典礼憲章10)と言及しています。また、教理省の「信仰年覚書」四の2にも、「信仰の神秘であり、新しい福音宣教の源泉である感謝の祭儀の中で、教会の信仰は告げ知らされ、祝われ、強められるからです。すべての信者は自覚的に、積極的に、実り豊かな仕方で感謝の祭儀にあずかるよう招かれます。それは、主の真正な証人となるためです。」と述べられています。

④ミサの終わりの派遣の祝福「行きましょう 主の平和のうちに」は、まさに、ミサからの派遣であり、「平和の使徒になろう」の原動力であり、源泉です。

⑤「信仰からの奉仕」の原点がここにあります。個人としても、共同体としてもミサを大切にいたしましょう。キリスト者の人生そのものがミサなのです。

2、「信仰への奉仕」として

①「あなたがたは行って、すべての民を私の弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・19~20)を私たちの召命(平和の使徒)と受け止めましょう。

②司祭、修道者、カテキスタ、すべてのキリスト者は「カトリック教会のカテキズム」(信仰宣言、信仰の神秘・秘跡、キリストと一致して生きる、キリスト教の祈り)を学び、深め、伝えましょう。

③そして先ずは、「洗礼の召命」への奉仕です。洗礼の秘跡の恵みによって、人ははじめて、他の六つの秘跡の恵みに与れるようになるのです。特に、ごミサの中で主のみことばと食卓に与りご聖体の秘跡に強められ、共に「主と共なる平和の使徒」となれるのです。「洗礼の召命」がなければ、「司祭・修道者の召命」もありません。

④次に「青少年育成」への奉仕です。教会学校、中国ブロック高校生大会、青年会に力を注ぎ、「平和の使徒」を育成しなければなりません。青少年は教会の笑顔、力です。

⑤最後に、「司祭・修道者の召命」です。特に、すべての人のためにすべてとなって仕える第二のキリストが必要です。カトリック系学校や幼稚園に、いや、教会にでさえ、司祭、修道者が一人も働いていない現象が起きてきています。司祭がいなければ、感謝の祭儀(ミサ)も無くなるのです。

備考



 

   
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