「十戒 ~第一の掟~」GAUDETE 2020年12月号(本紙第59号)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 部門 / 推進本部事務局

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最終更新日:2020年12月22日

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※本稿で述べている見解は、筆者個人のものであり、筆者が属する組織を代表するものではありません。

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十戒

今回は、少し十戒について話したいと思います。

第一 わたしはあなたの主なる神である。わたしのほか、誰をも神としてはならない。
第二 あなたは、神の名をみだりに呼んではならない。
第三 あなたは、安息日を聖とせよ。
第四 あなたは、父母を敬いなさい。
第五 あなたは、殺してはならない。
第六 あなたは、姦通してはならない。
第七 あなたは、盗みをしてはならない。
第八 あなたは、偽証してはならない。
第九 あなたは、他人の妻に思いをかけてはならない。
第十 あなたは、他人の物をみだりに欲してはならない。

(カトリック祈祷書 祈りの友 カルメル会編より)

この十戒については、ブラジルの神学者 カルロス・メステレスの書いた小冊子を佐々木治夫神父様が日本語に翻訳しています。

「神の十戒」-共同体の道しるべ― カルロス・メステレス著 佐々木治夫訳 女子パウロ会 

これを紹介したいと思います。

まず、神様が十戒を通じて、民を導こうとした目的を

「1民が奴隷の生活に戻らないようにすること
 2民がエジプトから脱出することによって勝ち取った自由を守ること
 3民が正義と兄弟愛に生きること
 4民が、世界中の神のしるしとして、組織された民であること
 5共同体として組織された民が、すべての民の苦しみの叫びへの一つの答えであること
 6民が、すべての人のために望んでいることを告げる者であること
 7民が、神と隣人への愛の模範となること」

とあげています。

「モーセによって導かれた最初の共同体は、新しい法によって生き、これによって組織されるために、神から召されたものであった。このようにあの共同体は、他の民々のための『良き知らせ』(出エジプト19.5~6)『国々への光』(イザヤ49.6)となるためのものであった。」

第一の掟についてみてみましょう。

「この掟の意味は、天には一人の神がいるか、多くの神がいるかを問うものでも、家庭に聖人の絵や像を祭っておいてもよいかを問うものでもない。この掟は、抑圧されている民の解放に関するものである。民の苦しい叫びに答え、民の苦しみや、虐待の原因の一つを取り除こうとするものである。」

「神の手から掟を受けたモーセは、ファラオの宮殿で教育を受けた。そこでは、『神は貧しい者の父ではなく、ファラオの神である』と教えられていた。泣き叫ぶ貧しい者は神に不従順であると言われた。貧しい者は、『忍耐を旨とすべきである。神がそう望まれたからである』といわなければならないと教えられていた。そのうえ神の意志は、ファラオの口を通して、すべての民に示されると語られた。」

「ファラオのシステムは、全国民の頭にこの恐るべき考えを焼き付けることに成功した。ほとんどすべての国民は、貧しい者に至るまでそれを信じた。」

「ファラオの学校のこの教えに、より大きな厳しさと輝きを与えるために、彼らは石や木、あるいは黄金や銀でできた巨大な像をつくった。」

「ファラオのこの教えは、地に落ちてすべての木の根を枯らす、毒薬のようなものだった。」

「神が一番嫌い、非難することは、兄弟を虐待するために、神の像を利用することである。だから、だれかが神の側につき、真の神の民に属したいと願うならば、まず、ファラオと偽りの神々のあらゆるシステムと縁を切らなければならない。」

「このように、主*だけが神であることを宣言しながら、第一の掟は、ファラオの家の屋根を取り去り、抑圧のシステムの美しい仮面を剥ぎとり、これを壊すのである。偽りの神の保護のもとに行われる不正、不秩序、偽り、腐敗を白日のもとにさらけだす。」

「共同体が、本当の意味での、真の神の共同体となりたいならば、ファラオの学校の教えに落ち込まないよう常に注意していなければならない。」

「イエスの時代にも、民は顧みられていなかったし、小さい人々の叫びも聞かれていなかったばかりでなく、ある種の宗教的伝統を通じて、ファラオの学校の教えが、変装されて、共同体の中に入っていた。多くの人々は、真の生きた神である主*と、ファリサイ人や律法学者によって教えられた厳格かつ抑圧的な神と取り換えるまでに至っていた。イエスはもう一度、第一の掟の本当の意味を教えなければならなかった。イエスはこの教えを、自分の生活、実践、説教を通じてつたえた。」

「第一の掟の教えによって、イエスは、民の上に重くのしかかり、民に苦しい叫びをあげさせた神の間違った厳しい抑圧的なイメージと闘った。イエスはご自分の似姿につくられた人間が神の唯一の真のイメージであると教えた。第一の掟はすべてに越えて神を愛せよということであり、第二のそれは、『己のごとく隣人を愛せよ』と命じている。イエスはその模範を示し、教えたとおりに生きた、『愛する者のために命を捨てること、これ以上の愛はない』と。そして『これらの私の兄弟、しかもいと小さきものの一人にしたことは、わたしにしたのである』といいながら、貧しい人たちの中にある神の姿と自分を同じものとした。貧しい人を受け入れる人は、イエスを受け入れ、イエスを受け入れる者は御父を受け入れる。」

「この掟は、偽りの神の名において民を搾取し、抑圧するシステムを支持したり、拝んではならないと教えているのである。隣人である神の姿を尊敬することを要求し、すべてに越えて神を愛することを求めている。」 第一の掟は以上です。

*翻訳原文では「ヤーウェ」と表記されていますが、典礼秘跡省の「神の名」指針に従い「主」と表記を変更しています。

(平和の使徒推進本部長 野中泉神父)

11月24日 教皇フランシスコ来広1周年行事おこなわれる

教皇フランシスコが2019年11月24日に広島を訪問されてから1年となる先月24日、世界平和記念聖堂(カトリック広島司教区司教座聖堂)及び平和公園で、来広1周年記念行事がおこなわれた。

16:00から世界平和記念聖堂で来広一周年記念ミサが、白浜満司教(広島教区長)の主司式で執り行われた。

ミサ説教の中で、前日23日に平和公園・原爆慰霊碑前でおこなわれたピース・ナイト・ヒロシマ2020で広島の松井市長が教皇フランシスコのスピーチでのことばを引用しつつ「若者の皆さんが中心となって企画されたこの集いは、まさに思い出し、共に歩み、守るという3つのことを実践するものです。核兵器のない世界の実現は前途多難ですが、必ず実現できるという希望をもって若者たちが被爆者の想いのバトンを受け継ぎ、共に協力し、平和を守って行く力になってほしいと思います」とあいさつされたことに言及した。

また、7年前の2013年に発表された使徒的勧告「福音の喜び」の教皇フランシスコの「出て行ったことで事故に遭い、傷を負い、汚れた教会のほうが好き」(49参照)ということばを引用しつつ、教皇フランシスコが長崎・広島を訪れた意義を「すさまじい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い起こすため、また現代社会の人々の願いと望みを胸に、その叫びを発する声になるために、そしてじっと祈って平和を守る力を神に願うためでした。教皇フランシスコ自ら、出かけていって、思い出し、共に歩み、守るという倫理的な手段を実践されました」と解説された。

最後に第2朗読の聖パウロのことばを心に刻みながら「人間の力を超えた神の助けを願いながら、復活されても傷を負ったままの、あのイエス様の姿を心に明々と灯しながら、これからも地道に平和のために働く人となっていきたいと思います」と締めくくられた。

18:00からは、平和公園において「世界平和のための祈り」を約40名が参加して集いをした。集いでは、教皇フランシスコのメッセージの朗読や黙祷・祈りが捧げられた。

DVDのご紹介:「POPE IN JAPAN 2019 すべてのいのちを守るため~教皇フランシスコ 来日の軌跡~」

昨年の教皇来日の様子をまとめたDVDが製作されました。全体の流れを紹介するドキュメンタリーや、各地でのメッセージ集、テーマソングを含めた二枚組です。分かち合いや教材に最適。そして何よりも記念になりますね!ドキュメンタリーでは、なんと今年の広島の平和行事の様子も紹介されています。一口6000円以上の寄付で一組を献呈とのことです。

詳しくはこちらをご覧ください☟

https://www.cbcj.catholic.jp/2020/11/16/21272/

教皇フランシスコ日本司牧訪問 -長崎・広島でのメッセージと今後の平和構築に向けて

1.教皇フランシスコの日本訪問

第266代ローマ教皇フランシスコ(本名:ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ、アルゼンチン出身、イエズス会、訪問時82歳)は、2019年11月19~26日の日程でタイ王国と日本への司牧訪問(1)を行った。日本への司牧訪問テーマは「PROTECT ALL LIFE すべてのいのちを守るため」である。日本訪問の日程と内容は次のとおりである。11月23日夕方にバンコク(タイ)から東京国際空港へ到着し、東京にあるローマ教皇庁大使館で日本司教団と会合を行う。翌24日は朝早く長崎へ飛行機で移動し、長崎・爆心地公園にて「核兵器について」のメッセージを発表し、西坂公園へ殉教者を表敬し、長崎県営野球場において司牧訪問ミサ(王であるキリスト祭日ミサ)を主司式し、夕方飛行機で広島へ移動、広島平和記念公園において、平和のための集いでスピーチを行う。その後、飛行機で東京へ移動した。25日はベルーサ半蔵門において、東日本大震災被災者との集い、皇居で天皇との会見、東京カテドラル聖マリア大聖堂で青年との集いを行う。さらに、東京ドームにて司牧訪問ミサを主司式し、夕方首相官邸で安倍首相との会談、要人および外交団との集いを行う。日本滞在最終日となる26日は朝イエズス会員とのミサ・朝食・プライベートな集い・病気・高齢者司祭を訪問した後、上智大学を訪問し、昼頃東京国際空港からイタリアへ向けて帰国の途についた。80歳を超える教皇としてはハードで過密日程の日本訪問であった。

教皇フランシスコは、訪問先々でメッセージを残されたが、本稿では、数あるメッセージの中から長崎・広島の被爆地で発した「核兵器(原子力の戦争利用含む)」に言及しているものを特に取り上げ、教皇フランシスコが訴えたことを確認していきたいと思う。

2.長崎での教皇フランシスコのメッセージ

11月24日朝、長崎・爆心地公園において、「核兵器について」のメッセージを発信した。その中で教皇フランシスコは次のように述べた。

「核兵器や大量破壊兵器を所有することは、[人の心にある最も深い望みである平和と安定という]望みに対する最良の答えではありません。それどころか[平和と安定という]望みをたえず試みにさらすことになるのです」

この指摘について簡単に述べると、「なぜ、武器をもっていて世界に平安が訪れるのか」と問われたのと同じである。大量破壊兵器の一種である核兵器の開発・保有・維持は、国家間の軍備拡張競争を伴うことがある。教皇フランシスコは同じメッセージの中で「軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです」と指摘した。そして、この無駄遣いは神に歯向かうテロ行為と非難している。さて、この資源の無駄遣いとの指摘は「核兵器禁止条約」(2)の前文にある次の言葉と関連している。

「核兵器への依存が継続していること並びに核兵器の生産,保守及び近代化のために経済的及び人的資源が浪費されていることを憂慮し」ている。

つまり、この部分を念頭に置いていると思われる。続けて教皇フランシスコは同じメッセージの中で「核兵器の脅威に対しては、一致団結して具体性をもって応じなくてはなりません」と訴えた。そして「カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対する、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、たゆむことなく、迅速に行動し、訴えていきます」と宣言された。このたゆむことなく迅速に行動する内容は「祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招き」であり、この行動自体を「わたしたちが信を置く『武器』でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように」と聴衆を励ました。

この教皇フランシスコの励ましは、核兵器廃絶というゴールは遠く時間のかかる困難な道のりであるが、核兵器のない世界を求めて祈り、核兵器が廃絶されることこそが被造界のすべてのいのちを守るために必要不可欠であると市民の中に一致した認識が普遍化することを探求しながら、人道性や倫理性から見て核兵器は絶対悪であると粘り強く核兵器容認論に対して対話をしていくことをあきらめず継続することが大事であると、我々、広島教区民も含めた全ての人々へ言われたとわたしは感じた。

3.広島での教皇フランシスコのメッセージ

教皇フランシスコは、同日夕方に広島へ飛行機で移動され、広島平和記念公園で「平和の集い」のスピーチをした。このスピーチの内容も核兵器禁止条約が色濃く反映している。教皇フランシスコは

「戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません…核兵器の保有は、それ自体が倫理に反している…」。

と核兵器のみならず原子力の戦争利用と範囲を広げ指摘しているが、この指摘は核兵器禁止条約という国際規範が2017年7月に成立し、「核兵器を禁止する」という法的性質、「核兵器自体」を犯罪化したことを念頭に置いていると思われる。特に教皇フランシスコがスピーチの中で指摘した「核兵器の保有は、それ自体が倫理に反している」との部分は、核兵器禁止条約第1条の禁止項目のひとつである「(a)核兵器その他の核爆発装置を開発し、実験し、生産し、製造し、その他の方法によって取得し、占有し、又は貯蔵すること」に該当する。ようするに核兵器を生産や製造して、取得・占有・貯蔵することは「核兵器を保有する」ことを意味する。国際規範である核兵器禁止条約第1条(a)で核兵器の保有自体が犯罪であり、倫理に反すると謳っているのである。

教皇フランシスコは26日の帰国途上であった機上記者会見で、核兵器の保有ましてや使用に関して禁止することをカトリック教会のカテキズムへ加えられるべきですと希望を述べられている。これは国際規範で禁止されたものをカトリックの教義においても禁止すべきだという教皇フランシスコの強い思いが表れたものと思われる。このように見ていくと教皇フランシスコは核兵器禁止条約の内容を良く知り、メッセージに込めていることが分かってくる。我々も核兵器禁止条約について知識を得ていく必要があると思われる。

4.今後の我々の平和構築に向けて

教皇フランシスコの広島でのスピーチは、核兵器に対する指摘だけでなく、真の平和を構築していくことについても指摘している。それは、核兵器自体が犯罪であること、使用しなくとも保有するだけで犯罪であることを忘れてはならないことを説き、そして、真の平和とは、非武装の平和以外にありえない、そして平和はたえず建設されるべきものと教え、その真の平和の構築に必要な「思い出し、ともに歩み、守ること」の三つの倫理的命令を我々にした。その命令は具体的に、広島や長崎の被爆地での核兵器による被害の実相を思い出し、わたしたちが他者、ときには敵対する者とともに歩み、和解と平和の道具となるよう求められた。その結果が、すべてのいのちを守ることにつながるのである。

よって、教皇フランシスコのいう三つの倫理的命令に従い行動することによる成果とは、正義の結果であり、発展の結果であり、連帯の結果であり、わたしたちの共通の家の結果や共通善を促進した結果である「真の平和」につながると教えたのである。

※[]…著者追記

(文責:平和の使徒推進本部事務局 竹内秀晃)

参考文献等

(1) 教皇フランシスコの日本司牧訪問メッセージ等はカトリック中央協議会ホームページより引用 https://www.cbcj.catholic.jp/
(2) 外務省暫定訳 https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000433139.pdf

教皇フランシスコ:被爆地からの発信,吉田文彦・広瀬訓・山口響・四条知恵,RECNA Policy Paper, 9, pp.1-32; 2020,長崎大学核兵器廃絶研究センター,http://hdl.handle.net/10069/39653

関連文書

「核兵器禁止条約と国家の安全保障に関するアンケート(質問調査)」のお願い(~2021年1月15日まで)

核兵器廃絶への宣教司牧研究

教区代表者会議に向けての展望⑥ -教区代表者会議分科会テーマとこれから

Ⅰ 教区代表者会議分科会テーマ

12月12日に開催された教区宣教司牧評議会で、教区代表者会議のテーマが次のとおり決まりました。

  1. 福音宣教
  2. 平 和
  3. 多文化共生
  4. 協 働
  5. 養 成

今後、信者の皆さんからの意見を基に、これら分科会テーマに沿った教区代表者会議準備事務局からの提言(案)が示され、皆さんに検討いただき、実際に2021年11月23日の教区代表者会議に提案される提言(案)が形づくられることになります。

Ⅱ これからの進め方・考え方

前回、教区代表者会議テーマ(素案)を示す中で、三つの枠組みと重点を置いた点を明示しましたが、大切なのは、テーマに沿って皆さんそれぞれが考え、実践していただくことです。

前回の教区代表者会議は2010年に「きょうどう」をテーマに開催されました。

それから10年、私たちが「平和」「協働」「養成」「多文化共生」にどう取り組んできたかを振り返ることも大切ですし、また、集うのが困難な現在において、私たちがどのような形でお互いに関わり、信仰を深め交わっていくことができるかを考えることも重要な課題です。それを考えていただくための材料が10の「標語」です。これは先に実施したアンケートから抽出したキーワードです。

①祈りと活動を通して、みんなでともに喜びをもって福音を伝えよう
②新しい体制、取り組み、様式を具体化して、福音宣教を推進しよう
③身近な平和から社会(世界)の平和を実現する「平和の使徒」となろう
④教会から離れている人とのきずなを大切にし、その想いを聴こう
⑤言葉や文化の違いを受け入れ、互いに理解し合い、協力しよう
⑥教会に集うすべての人が、温かさを感じる「神の家族」を目指そう
⑦様々な課題を共有して、ともに考え、助け合い、一緒に乗り越えよう
⑧互いの違い(差)を受け入れ、互いの思いを伝え合い、協働しよう
⑨互い(司祭、修道者、信徒)の召命をともにはぐくみ、支え合おう
⑩互いの生涯養成やリーダー養成を通して、次世代へ信仰を継承しよう

※詳しくは平和の使徒推進本部:「教区代表者会議」特設ページを参照ください。

2002年1月1日三末司教様は司教教書「沖に漕ぎ出せ~輪を拡げていく共同体~」の中で、次のように述べられています。

⑴まず、家族の中で輪を拡げましょう

信仰の遺産が伝えられる場は、まず家庭です。子どもたちや信者でない家族も、一緒にみことばを分かち合い、ともに祈り、困難を乗り越えて家族の平和と一致を実現させましょう。

⑵小教区で共同体の輪を拡げましょう。

共同体の未来をつくる人々、共同体から遠ざかっている人々、外国籍の人々、信仰に関心を抱いている人々、あらゆる世代、あらゆる人々の出会いの場としての共同体をめざし、新たな連帯が生まれるよう努めましょう。

⑶社会の中で連帯の輪を拡げましょう。

人間が人間らしく生きる、正義と愛に基づく平和な社会の実現を願い活動している人々との輪を拡げ、仲間を増やしましょう。民族・文化・宗教・国籍の違いを超えて、あらゆる人がともに生きる社会の実現に向かって歩いていきましょう。

これらは「家庭」「教会」「社会」へのチャレンジという今の宣教司牧テーマへ繋がっています。

イエスの「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」という言葉に対し、シモンは「お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と応えました(ルカ5.4~5)。

私たちが、三末司教様、前田枢機卿様、白浜司教様の呼び掛けにどのように応えていくか。皆さんのそれぞれの信仰のあり方、信仰の表現を提案いただきたいと考えています。

資料は2020教区代表者会議「ともに喜びをもって福音を伝える教会へ」特設ページからダウンロードできます。

2020教区代表者会議「ともに喜びをもって福音を伝える教会へ」特設ページ

<次号に続く>

(文責:2020教区代表者会議準備事務局 小松敬)

ヨセフ年はじまる

教皇フランシスコは12月8日、聖ヨセフがカトリック教会の保護者として宣言されてから150年を迎えるにあたって、2020年12月8日から2021年12月8日を「ヨセフ年」とすることを宣言しました。福者ピオ9世教皇が1870年12月8日に聖ヨセフを「カトリック教会の保護者」と宣言してから150年を記念して設定されたものです。

現在、ヨセフ年以外に「ラウダート・シ特別年」(2020年5月24日~2021年5月24日)と広島教区独自の「浦上キリシタン流配150年」(2018年~2023年)の特別年が実施中です。

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