「自由で平和な世界」 GAUDETE 2018年06月号(本紙第42号)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 部門 / 推進本部事務局

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最終更新日:2018年6月25日

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自由で平和な世界

「ひとりひとりの人間は、生まれながらにしてかけがえのない値打ちと平等で奪うことのできない権利を持っています。それを認めることが、自由で平和な世界を創る基本です。

人権が無視されたり軽く見られたりした結果、人の良心を踏みにじるひどいことがたくさんおきました。だから、皆が自由に意見を言えて、自由に考えることができて、恐怖も欠乏も感じなくてすむ世界が来ることを、世界中の人が心から望んだのです。

あまり国が好き勝手に皆を押さえつけていると、最後の最後には力で反抗しなくてはならなくなります。そうならないようにするためには、法律で人の権利を守ることがどうしても必要です。」これは、世界人権宣言の前文に出てきます。翻訳は世界人権宣言60周年記念に出された、人権パスポート記載されているものです。実は、この文章を書くためにいろいろ読み直していた冊子の中のひとつ『出会いは人間を変え感動は人を動かす』(人権教育資料№12 日本カトリック部落問題委員会)の最初に文書が載っている相馬信夫司教様の文書の最後につけられていました。(翻訳は違います)その前に「差別する心をなくすには、部落の人ではなく、我々の中にある差別心をなくすことが宗教家の一番大きな義務だと思います」と言われています。同じ様な文章が先日行われた部落差別人権委員会の資料の中にありました。「私たちは得てして、ハンセン病(者)はなぜ差別されるのかと、差別される側の理由を問いがちですが、そういう問いの立て方には差別されることを正当化する落とし穴がひそんでいるように思います。問うべきは、なぜ彼らは差別されるかではなく、なぜ私は差別するのか、どうしてそういうことを行ったかということですそこを切開しなければ、問題をはき違えることになるでしょう。」(ハンセン病とキリスト教―信仰と人権のかかわりをめぐって 荒井英子)『誰と共に生きるか』日本カトリック部問題委員会

私たち一人一人の中にある差別する心から解放されますように。

個人による聖書の通読と写経の取り組みに関して

聖書通読・写経キャンペーンにご協力いただき、ありがとうございます。新しく通読のグループを作られた小教区、全体で写経に取り組まれている小教区など、キャンペーンをきっかけに始まった新しい取り組みの報告も受けております。こちらで少しずつご紹介していく予定です。また、外国籍の信徒の方々にも取り組んでいただけるよう、多言語のチェックシートも準備していきます。

これを機に、教区の皆様に、少しでも聖書に親しみ、神様からの呼びかけに耳を傾ける時間をもっていただければ幸いです。

1.通読は、2018年4月以降に取り組んだ部分をリーフレットにチェックし、提出してください。写経についてはすでに取り組み中の部分を含めます。

2.個人で取り組んでも、グループで取り組んでも構いません。

3.聖書のどこから始めても構いません。

4.使用する聖書の言語は問いません。何語でも良いです。

5.写経の場合、使用する用紙に規定はありませんが、提出の際には、表紙に所属と名前を書いて、まとめて提出してください。

6.写経で使用する筆記用具にも規定はありませんが、ペンで書いていて間違えた場合には、修正液で消してください。

7.写経は、①新約聖書、②旧約聖書(創世記から歴代誌下)、③旧約聖書(エズラ記からエゼキエル書)、④旧約聖書(ダニエル書からマラキ書)+旧約聖書続編に分けて提出することができます。

8.通読・写経が完了し提出されたリーフレット(写経の場合は用紙も)は、教区創立百周年ミサ(2023年)の際に奉納し、表彰いたします。

9.問い合わせ、提出先は平和の使徒推進本部です(教区本部事務所ではありません)。

受付窓口:平和の使徒推進本部事務局
受付住所:広島市中区幟町4-42 広島カトリック会館
受付時間:月・火・金・土 09:00~17:00
受付電話:082-221-6613 (広島司教区事務局では受付いたしません)
受付メール:pcaph@hiroshima.catholic.jp

教会公文書を読む

福音の喜び(序文)

1 福音の喜びは、イエスに出会う人々の心と生活全体を満たします。イエスの差し出す救いを受け入れる者は、罪と悲しみ、内面的なむなしさと孤独から解放されるのです。喜びは、つねにイエス・キリストとともに生み出され、新たにされます。(後略)

Ⅰ 新しく、共有される喜び

2 多様で圧倒的な消費の提供を伴う現代世界における重大な危機は、個人主義のむなしさです。このむなしさは、楽なほうを好む貪欲な心をもったり、薄っぺらな快楽を病的なほどに求めたり、自己に閉じこもったりすることから生じます。内的生活が自己の関心のみに閉ざされていると、もはや他者に関心を示したり、貧しい人々のことを考えたり、神の声に耳を傾けたり、神の愛がもたらす甘美な喜びを味わうこともなくなり、ついには、善を行う熱意も失ってしまうのです。信仰者にも、つねにこの誘惑に陥る危険性が確かにあります。(後略)

3 わたしはすべてのキリスト者に、どのような場や状況にあっても、今この瞬間、イエス・キリストとの人格的な出会いを新たにするよう呼びかけたいと思います。少なくともイエスとの出会いを妨げないよう、日々努力することを勧めます。だれもがそう招かれています。「主によってもたらされた大きな喜びは、だれをも除外しない」からです。主にかける者を主は失望させません。(中略)イエスのおかげで、わたしたちは顔を上げ新たな出発ができるのです。イエスの優しさはわたしたちを決して失望させることなく、いつも喜びを取り戻させてくれます。イエスの復活から離れないようにしましょう。決して負けを認めてはなりません。どんなことがあってもです。わたしたちをいつも前進させるイエスのいのちより大切なものはないのです。

4 旧約聖書においてすでに、メシア時代に満ちあふれるであろう救いの喜びが告げ知らされていました。預言者イザヤは待ち望まれている救い主にむかい、歓迎の意を伝えます。「あなたは深い喜びと大きな楽しみをお与えになった」(イザヤ9・2)。そしてイザヤはシオンに住む人々に、救い主の歌を歌いながら迎えるよう励まします。「シオンに住む者よ、叫び声をあげ、喜び歌え」(同12・6)。預言者は遠い地平に救い主を見た者に、それを他の人々に告げ知らせるよう呼びかけます。「高い山に登れ、よい知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ、よい知らせをエルサレムに伝える者よ」(同40・9)。創造された宇宙万物がこの救いの喜びにあずかるのです。「天よ、喜び歌え、地よ、喜び踊れ。山々よ、歓声をあげよ。主はご自分の民を慰め、その貧しい人々をあわれんでくださった」(同49・13)。
預言者ゼカリヤは主の日が訪れるのを見て、「高ぶることなく、ろばに乗って」来る王を歓呼の歌を歌いながら迎えるように勧めます。「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者」(ゼカリヤ9・9)。
しかし、さらに心を打つのは、預言者ゼファニヤの招きのことばかもしれません。ゼファニヤは、ご自分の民とともに、救いの喜びに満ちあふれる祝祭の中心にいる神をわたしたちに示します。(中略)「お前の主なる神はお前のただ中におられ、勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし、お前ゆえに喜びの歌をもって楽しまれる」(ゼファニヤ3・17)。
これは、日常の小さな出来事の中で、父である神の愛に満ちた招きへの応答として体験する喜びです。「子よ、分に応じて、財産を自分のために使え。・・・・・・一日の幸せでもそれを逃がすな」(シラ14・11,14)。このことばの背後に、何ともいえない父の優しさが感じられるでしょう。

5 キリストの十字架の栄光が輝く福音書においては、たびたび喜びへの招きが繰り返されます。いくつかの例を挙げれば十分でしょう。天使ガブリエルのマリアへのあいさつは「喜びなさい」(ルカ1・28)です。マリアがエリザベトを訪れると、その胎内でヨハネは喜び踊りました(ルカ1・41参照)。マリアは次のように賛歌を歌います。「わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます」(ルカ1・47)。イエスがその宣教を始めるとき、ヨハネは叫びます。「わたしは喜びで満たされている」(ヨハネ3・29)。イエスご自身は「聖霊によって喜びにあふれて」(ルカ10・21)います。イエスのメッセージは喜びの源です。「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」(ヨハネ15・11)。キリスト者であるわたしたちの喜びは、喜びに満ちあふれるイエスの心の泉からわき出てきます。彼は弟子たちに約束します。「あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」(ヨハネ16・20)。そして強調します。「わたしは再びあなたがたと会い、あなたがたは心から喜ぶことになる。その喜びをあなたがたから奪い去る者はいない」(ヨハネ16・22)。弟子たちは復活したイエスを見て「喜んだ」(ヨハネ20・20)のです。使徒言行録にあるように初期の共同体では、「喜びと真心をもって一緒に食事をして」(使徒言行録2・46)いました。弟子たちが来ると「人々は大変喜んだ」(使徒言行録8・8)のです。彼らは迫害の最中にも「喜びに満たされて」(使徒言行録13・52)いました。新たに洗礼を受けた宦官は「喜びにあふれて旅を続け」(使徒言行録8・39)ます。看守は「神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ」(使徒言行録16・34)のです。わたしたちもその喜びの流れに加わろうではありませんか。

6 (前略)喜びは、状況に応じて変化しつつも、消えうせることは決してありません。それが、自分が無限に愛されているという個人としての確信から生じるかすかな光であるとしても。(中略)少しずつ、けれども確実に、信仰の喜びを呼び覚ます必要があります。(後略)

7 (前略)もっとも美しく自然な喜びは、固執するものをもたない貧しい人々のうちにあったということです。そしてもう一つ、(中略)信仰心と、無欲で単純な心を賢明に保っている人々の真の喜びです。それらの喜びは、さまざまなかたちでイエス・キリストにおいて示された神の愛、無限の神の愛の泉からくみ取られます。福音の神髄にわたしたちを導くベネディクト十六世のことばを何度でも繰り返しましょう。「人をキリスト信者とするのは、倫理的な選択や高邁な思想でなく、ある出来事との出会い、ある人格との出会いです。この出会いが、人生に新しい展望と決定的な方向付けを与えるからです」。

8 わたしたちを閉鎖性や自己中心性から救い出すのは、神の愛との出会い─あるいは再会─のみです。この出会いは幸せをもたらす友情になります。神に導かれるままであれば、自己を超えてより真の自己に到達し、人間以上になって初めて真に充実した人間になれるのです。そこにこそ福音宣教の泉があります。なぜなら、人生の意味を取り戻すその愛を受け入れた人は、他の人に伝えられずにはいられないからです。

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  • カトリック中央協議会(中央協著承PB第2018-16号)(2018年6月20日付)

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キリストの福音(みことば)を伝えるために聖書を読む(聖書通読・聖書写経キャンペーン) (平和の使徒推進事項,2018年04月07日掲載)

備考



 

   
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