「仲間となら一歩踏み出すことができる」 GAUDETE 2018年05月号(本紙第41号)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 部門 / 推進本部事務局

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最終更新日:2018年5月16日

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仲間となら一歩踏み出すことができる

今年の二月、青年たち九人を連れ、韓国を訪ねました。広島教区からも四人の青年たちが参加してくれました。天安の独立記念館を見学し、最後に、取り壊された日本の植民地時代の総督府の一部がモニュメントとして置かれている広場で祈った時間は深い時間でした。「一人では何もできない臆病な自分だけど、この仲間となら一歩踏み出すことができる」という一人の青年の祈りは私たちみんなの心を代弁してくれていました。

その天安に同行してくれた、シスター古屋敷さん(社会司牧デスク)の友人で十七年間日本に住んだことのあるシンさんは、その後の三日間を最後まで共にいてくださいました。シンさんが寄せてくれた感想の中にこのような文章があります。「最初は、最終日の分かち合いにまで残るつもりはなかったのですが、皆と独立記念館や西大門刑務所などを見学しながら、また、その後、日韓青年たちの分かち合いを聞いているうちに、ぜひ最後の分かち合いに参加させていただきたいと思いました。皆の心が聞きたかったのです。また、辛い思いをしてたなら、心から抱きしめてあげたかったのです。」

私は、旅の友となってくれたシンさんの中にイエスを見る思いがします。決して楽しいだけではない、歴史を痛む巡礼に参加した青年たちが、もし辛い思いをしていたなら、心から抱きしめてあげたいと思ってくれたシンさん。そして、私たちは、確かに旅の間中、神の懐に抱きしめられているようなそんな温かさに包まれていたのでした。私たちの流した涙は、心を癒す涙でした。

「外に出なさい」と教皇フランシスコは回勅『福音の喜び』の中で何度も繰り返します。痛みと傷の場所でこそ、イエス・キリストが待ってくださっているのだと。沖へと漕ぎ出す献身のただ中で「御父の優しさに抱かれて憩うことを覚えましょう(279)」と私たちを励ましています。

今日、私が筆を手にしているイエスの昇天を祝う日。イエスの昇天とは何を意味するのでしょうか。神学的な答えは他にもあるでしょうが、イエスは苦しんでいる人、傷んでいる人、この世界の傷の只中に入られたのだと私は確信しています。私たちが自らの枠を超え出て、人々に手を差し出し、誠実に向き合い、絆(「傷な」と奥田知志牧師はおっしゃいます)を築いていく時、そこに「心から抱きしめてあげたい」と腕を広げて待っているイエスを体験するのです。

私たち一人一人はちっぽけな存在であること、ある意味でボロボロの弱い人間であることを認めたいと思います。だからこそ、その私たちの背中を押し、他者と連帯し、絆をつくっていくようにと、神の網(ネットワーク)を広げていくようにと励ます聖霊を信じます。そこに大いに働いてくださり、私たちを使ってくださる主を信じます。

主な出来事と推進事項

乙女峠まつり開催される

5月3日、島根県津和野町乙女峠で津和野・乙女峠まつりがおこなわれました。浦上四番崩れにより津和野藩へ流配されてから150年を迎えた年です。本年から広島教区100周年を迎える2023年まで「浦上キリシタン流配150年」としてさまざまな宣教司牧企画が予定されています。

ファティマの聖母記念ミサ

5月13日、昨年より広島教区内を巡回していたファティマの聖母像がカテドラルに帰えり、ファティマの聖母の記念ミサが献げられました。10月には、白浜司教様を団長にポルトガル・ファティマへの巡礼も予定されており、ファティマで行われる世界平和祈願ミサに広島教区による祈りのしるしとして霊的花束「ロザリオの花束」を持参し、奉納したいとの白浜司教様の意向です。

つきましては、平和の使徒である広島教区民の各個人で「世界平和のため」「罪人の回心のため」にロザリオのお祈りし、幟町教会へ提出することを推進します。

ロザリオの花束をファティマへ(2018年9月末まで募集)

教会公文書を読む

今年度広島教区宣教司牧テーマ「2017-2019年度「教会へのチャレンジ」」のヒント

使徒的勧告「福音の喜び」

福音の喜び(EVANGELII GAUDIUM)は、世界代表司教会議第13回通常総会テーマ「キリスト教信仰を伝えるための新しい福音宣教」の代表司教たちが教皇に対して提出した提言にもとづいて発布された使徒的勧告文書です。

文書の発布日付は、2013年11月24日(王であるキリストの祭日信仰年閉幕日)で、教皇フランシスコが初めて発布した使徒的勧告文書でもあります。

まずは、教皇に対し何が提言されたかを見ていきます。

提言序文では、文書の提出、感謝の表明及びカトリック東方教会について書かれています。

第一章のテーマは「新しい福音宣教とは」で、①新しい福音宣教の源泉である三位一体の神、②新しい福音宣教とインカルチュレーション、③福音の告知、④教会の永遠の宣教的次元としての新しい福音宣教、⑤世俗世界におけるあかし、⑥新しい福音宣教と最初の告知、⑦福音を告げ知らせる権利と、福音を聞く権利、⑧第二バチカン公会議文書が提言されています。

第二章のテーマは「現代の教会の奉仕職が置かれた状況」で、①現代の諸問題、②新しい福音宣教と和解、③新しい福音宣教と人権、④信教の自由、⑤信仰の前提と、信頼できる神学、⑥新しい福音宣教とマスメディア、⑦新しい福音宣教と人間性の発展、⑧新しい福音宣教と美の道、⑨移住者、⑩回心、⑪聖性と新しい福音宣教者、⑫教会の社会教説、⑬都市における新しい福音宣教が提言されています。

第三章のテーマは「現代の状況に対する司牧的応答」で、①教育、②成人の信仰教育、③信仰教育、カテキスタ、カテキズム、④神学、⑤新しい福音宣教と貧しい人の優先的選択、⑥病者、⑦ゆるしの秘跡と新しい福音宣教、⑧主日と祝日、⑨典礼、⑩新しい福音宣教の霊的側面、⑪キリスト教入信の過程と新しい福音宣教、⑫民間信心と新しい福音宣教、⑬教皇庁新福音化推進評議会が提言されています。

第四章のテーマは「新しい福音宣教の担い手と参加者」で、①新しい福音宣教と部分教会、②司牧活動の統合、③小教区における新しい福音宣教、④新しい福音宣教における信徒の役割、⑤教会における男女の協力、⑥福音宣教者の養成、⑦キリスト信者の家庭、⑧叙階された奉仕職の司牧的側面、⑨奉献生活、⑩若者と新しい福音宣教、⑪エキュメニカル対話、⑫諸宗教対話、⑬科学と信仰の対話、⑭異邦人の中庭、⑮被造物の管理が提言されています。

結びに、キリスト教信仰の伝達と新しい福音宣教の星マリアで提言が結ばれています(以上、節番号は筆者による。原文は提言番号連番)。

これに対し、使徒的勧告「福音の喜び」では、冒頭に「現代世界における福音の告知について」と書かれ、勧告先は、「司教、司祭、助祭、男女奉献生活者、そしてすべての信徒の皆さん」となっています。

本文は、序文として、Ⅰ新しく、共有される喜び、Ⅱ甘美と慰めに満ちた福音宣教の喜び、Ⅲ信仰伝達のための新しい福音宣教からはじまります。

第一章 教会の宣教の変革として、Ⅰ出向いて行く教会、Ⅱ回心する司牧、Ⅲ福音の神髄から、Ⅳ人間の限界の中に具現化する宣教、Ⅴ開かれた母の心が勧告されています。

第二章 危機に直面する共同体として、Ⅰ現代世界における課題、Ⅱ司牧にかかわる者が直面する誘惑が勧告されています。

第三章 福音の告知として、Ⅰ福音を伝えるのは神の民全体である、Ⅱ説教、Ⅲ説教の準備、Ⅳケリュグマを深めるための福音化が勧告されています。

第四章 福音宣教の社会的次元として、Ⅰケリュグマの共同体的・社会的影響、Ⅱ貧しい人々の社会的包摂(ソーシャル・インクルージョン)、Ⅲ共通善と平和な社会、Ⅳ平和への貢献としての社会的対話が勧告されています。

第五章 聖霊とともにある福音宣教者として、Ⅰ宣教を新たに推進するための動機、Ⅱ福音宣教の母であるマリアが最後に勧告されています。

ガウデーテでは、約1年をかけて、この使徒的勧告「福音の喜び」の抜粋を掲載していく予定です。わたしたちキリスト信者は、イエス・キリストを信じ、洗礼を受け(入信し)たことで、「神の子として生まれ変わり、キリストの肢体となり、教会の一員となって、その使命に参与する者」(カトリック教会のカテキズム1213)になり、「堅信の秘跡によって信者はいっそう完全に教会に結合され、聖霊の特別な力で強められて、キリストの真の証人としてことばと行いをもって、信仰を広めかつ擁護するよう、いっそう強く義務づけられ」(同1285)ています。そうです、イエス・キリストはわたしたちに言われました「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)と。

教皇フランシスコは、わたしたちに「福音の喜び」を通して、どのように福音宣教をしていけば良いのかを勧告しています。わたしたちが立派に福音宣教の使命(平和の使徒としての使命)を担えるよう勧告を確認し、そして、教会の母聖マリアにわたしたちが福音宣教の使命を全うできるように取り次ぎを願いましょう。

紙面発行版

自由にダウンロードして利用ください。

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掲載日2018年5月16日
更新日2018年5月16日
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