連載⑫「今、殉教を生きるとは?」
カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 広島教区年間テーマ関係
キーワード(索引語): 教区サブテーマ,福者ペトロ岐部司祭と187殉教者
最終更新日:2017年2月1日
殉教・殉教者とは ~イエスのことば~
ルカ24・46-48
今まで殉教者を見て参りましたが、さて「殉教」とはどういうことでしょうか。殉教者たちが命を捧げた主イエス・キリストご自身のことばによって考えてみようと思います。
いよいよご自分の後継者(弟子)達を福音宣教に派遣するときの言葉です。
(ルカ24章48節)この中で特に「証人(あかしびと)」という言葉(これはマルチレス(ギリシャ語)の訳です。)があります。
イエス・キリストは『皆全世界に行って福音を述べ伝えなさい、そして私の証人・私の信仰を証しする人となりなさい。』と言う言葉を伝えています。
マタイ10・18-19
マルコ8・34-36
最初の教会の人達は信仰を証しするために、皆、証人(あかしびと)として命を投げ出します。それが現在言われている「殉教」です。
つまり、はじめ、証人と言う言葉だったのが、命を賭けて究極の状態の中で信仰を証しする事が命を捧げる(死んでいく)ということで、マルチレス(証人)と言う言葉が「殉教」の意味になりました。
ギリシャ語からラテン語・ポルトガル語・スペイン語を経て、キリシタン時代の人達はマルチルとかマルチリオとか言っていました。
元々は証人(証しする人)という意味です。
イエスは弟子達に『私の証人になりなさい。』と言っており、使徒言行録にも出てきます。
最初の教会の人達が信仰を証しする、ペトロの話の中にも出てきます。
イエス・キリストの言葉だと、(これは12人の使徒達を宣教に派遣する場面ですが、)『私の為に総督や王の前に引き出されて証しすることとなる。その為にあなた達は苦しむこととなろう。』
命を賭けて証しする、これが名詞マルチリオン、キリシタン時代のマルチリオとなっていきます。
そして、イエスの為福音の為命を失う、たとえ全世界を手に入れてもイエス・キリストの復活を証しする、この世の命よりも信仰を大切にする、そのことの方が大切なんだ、ということがイエス・キリストの言葉にもあります。
ヨハネ12・24-25
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
マタイ5・10-12
「一粒の麦、地に落ちて死ねば多くの実を結ぶ」と言う言葉がありますが、(それに倣って殉教者達は)命よりももっと大切なものに賭けました。
マタイの山上の説教には『私のためにののしられ、迫害され、………その人は幸せだ。』(5章11節)とイエスの言葉が書いてあります。
備考
- 2013年3月15日 旧ホームページより転載
- 教区宣教司牧テーマ
- 広島教区にゆかりのある殉教者
- 聖書(HOLY BIBLE)
文書(ページ)情報
掲載日 | 2013年3月15日 |
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更新日 | 2017年2月1日 |
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推進・区分 | 広島教区年間テーマ関係 |
タグ(索引語) | 教区サブテーマ福者ペトロ岐部司祭と187殉教者 |
編集者 | web管理者(竹内) |
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