連載⑧「今、殉教を生きるとは?」

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 広島教区年間テーマ関係

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最終更新日:2017年2月1日

(2)山口の盲人ダミアン

キリシタン時代、盲人の方々は教会へ大きな貢献をしました。

聖フランシスコ・ザビエルから洗礼を受け、その後40年間日本中を駆けめぐり教会の柱として活躍した琵琶法師ロレンソ了斎。弾圧時代に信者と司祭、信者と信者との間で連絡係となったトビアス。山口の信者のために命を捧げたダミアン。

ダミアンは堺に生まれた名前のない全盲の琵琶法師でした。路上で琵琶を弾きながら旅をし、山口に着くと、そこに住み着きました。

1587年、この地で洗礼を受けダミアンという名で新たな生き方へ踏み出しました。25歳の時です。

同年、秀吉の宣教師追放令によってイエズス会の神父や修道士が去ると、山口のキリシタンの支え手として、教理を説き、幼児に洗礼を授け、死者を葬り、近隣の信徒を訪ね励ますことがダミアンの日課となりました。彼は、理解力と記憶力、そして何よりも神を語る迫力は、討論相手を説き伏せるほどの権威があったようです。

1590年の記録には次のように述べられています。「我々の主は山口の国で盲人ダミアンをもって宣教師の不足を補い給うた。彼は機会あるたびに絶ゆまず伝道し、1590年には山口の街で110名の者に洗礼を授けた。そしてアレッサンドロ(ヴァリニャーノ)神父がインドから来航したのを知るや、ダミアンは山口から長崎まで出かけ、神父に会い告解と聖体の秘跡を受けた。その道中、筑後国にマセンシア(大友宗麟の娘、毛利元就9男キリシタン秀包〔ひでかね〕の妻)をたずねて23名に洗礼を授け、筑前においても多数の者に洗礼を授けた」(グスマン「東方伝道史」32章)。

元直殉教の3日後、8月19日呼び出されたダミアンは処刑の意図を感じ、体を洗い最上の装束に身を包んで出頭しました。

改宗すれば生活の保護を約束する、と言われますが、キリシタンのことは決して棄てない、これこそ人間の救いとなる真の教えであると分かっている、と応えています。

首をはねられた時、ダミアンは45才でした。遺体は役人によって細かく切断され川に流されますが、仲間の信者が首と左腕を葦の茂みに見つけ、遺骨として長崎のセルケイラ司教のもとに届けています。

次回に続く・・・

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掲載日2013年3月15日
更新日2017年2月1日
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編集者web管理者(竹内)
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