連載③「今、殉教を生きるとは?」

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 広島教区年間テーマ関係

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最終更新日:2017年2月1日

家族の絆・信仰の継承のために!

第二に、家庭の大切さを示す姿です。

人々のあいだのきずなが弱くなっている昨今、家庭を大切にすることは現代の重要な課題です。現在の熟年の信徒の中には、自分たちの信仰を次世代に伝えられなかったと、胸を打つ人が多いと思います。現代社会の価値観に果敢に立ち向かうことを怠ったことによります。青年の教会離れは起こるべくして起こったのです。

熊本の小笠原玄也は信仰の揺るぎない座標を生きる親の姿を示しています。武将小笠原玄也は、義理の父親、加賀山隼人が殉教すると、細川家の親戚でもあったので処刑は免れました。彼は禄を奪われ、人里離れた貧しい家に玄也と妻みや、9人の子どもたちと奉公人4人の15人が一緒に監禁され、13年におよぶ日雇い人足のような生活を強いられます。名もない農民たちの情けと、ときおり潜伏司祭が運ぶ聖体に養われて、家族は玄也を柱としてこのような厳しい生活の中を生き抜きました。細々と百姓をして暮らす玄也の家族をジュリアン中浦神父は見届けています。

「転ばざる書き物」を主君に提出していた玄也にとって極まる貧しさは信仰の歓びでした。そこはひとつの小さな教会でした。ついに最期の時が来ます。小笠原玄也は次のように言っています。「キリシタンの詮索またまたご座侯、11月4日座敷牢に入り申し侯、上下15名にて入り申し侯こと。」言い換えると、11月4日にキリシタンを辞めないということで牢に入れられるという命令があったので、親子共々、全部で15名が座敷牢に入ったと淡々と述べているのです。

夫玄也が追放され困窮の身にあるとき、みやは妻として母として一家に仕え励ましていました。50日間の間に彼らはそれぞれ遺書を書きました。それまでお世話になった人に書いたお礼の手紙です。母みやの残した遺書は私たちの魂を揺さぶるものです。

彼女は言っています。「11月4日に牢屋に入りました。でも、いままで自分を愛し、尽くしてくれたあなたにお返しすることも出来ないので、心苦しい。しかし、私はか弱い女ですのに、このような殉教の誉れを受けることが出来ることは、なんとありがたいことでしょう。もうこれ以上いえないくらい感謝しております。どうしても私はこの信仰を捨てられませんのでこのようなことになりました。」

1636年1月30日、15人は首を切られました。18歳の長女は述べています。「とうとうキリスト教という信仰のために私たちは死ぬことになりました。お喜びください。お母さんが熱心で、子どもたちを死に追いやったのだとある人がいっていますが、お母さんがそういったからでなくて私がそう信じているからです。」

次回に続く

備考



 

   
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掲載日2013年3月15日
更新日2017年2月1日
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