連載①「今、殉教を生きるとは?」

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最終更新日:2017年2月1日

まえがき

この連載は、平和の使徒推進本部が188殉教者列福の年にあわせて作成した「今、殉教に生きるとは?~ペトロ岐部と187殉教者の列福に向けて~」プレゼンテーションからの抜粋です。

週1回のペースで掲載していきます。

はじめに

2008年11月24日、長崎においてペトロ岐部と187殉教者が列福されます。わたしたち日本のカトリック教会は、心からの喜びのうちに殉教者たちにならい、信仰を深めていきたいと思います。

188名の殉教者の列福調査は、今から25年前、1981年に始まりました。この年の2月、教皇ヨハネ・パウロ二世が初めて日本を訪れ、平和アピールを出されました。その直後に開かれた日本司教団総会の決定によって、正式に調査が開始されました。

なぜこの時に? また、どのような目的を持って、日本司教団は調査を始めたのでしょうか?

教皇ヨハネ・パウロ二世の思いと日本司教団の熱意

教皇さまは、日本滞在中、たびたび日本の教会について次のように語られ、これからの日本教会の道しるべとされました。

「日本の教会は多くの殉教者の血の上に建てられました。」

2001年、司教団がローマを訪問した時にも、ヨハネ・パウロ二世教皇は、日本教会の進路を示す遺言のような言葉を日本の司教団に残されました。

「日本の教会の最初の世紀は、殉教者たちが示した勇気と神への忠実さという信仰の消えないしるしによって飾られました。彼らの英雄的な証しは、日本の教会の過去を十字架につけられた主の輝きで飾るだけではなく、今の日本の教会の歩むべき道と、将来の使命と約束をも示しています。」

じつに、フランシスコ・ザビエル以来の日本の教会の歴史は、約460年間の中で、実に286年間、つまりその63%は禁教の時代、潜伏の信仰生活を余儀なくされた時代でした。

その間に、殉教の日時と場所と名前の分かる殉教者は5千5百人、名前の分からない人を含めれば2万人くらいになると言われます。

そして、長い迫害の中にあっても信仰は死なず、福音を生き抜く人々が伏流のように生き続け、伝え続けました。290年後の幕末、日本が鎖国を終えて開国した時、長崎のキリシタンは信仰を再び公に表しました。世界に誇るべき日本教会の素晴らしい出来事でした。

日本の司教団は、強い熱意を持って列福への取り組みを始めました。ことを急ぐために、全司教の署名入りの嘆願書を作り、白柳枢機卿を通して、直接教皇ベネディクト16世に手渡すこともしました。

そして2007年6月、調査を始めて25年目にして、ついに列福が決まりました。司教団が、かくも強い熱意と固い信念で列福を進めた理由とは何でしょうか。

備考



 

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掲載日2013年3月15日
更新日2017年2月1日
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編集者web管理者(竹内)
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