「牢屋の窄」 GAUDETE 2017年06月号(本紙第36号)

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牢屋の窄

先日、教区の職員研修で五島に行きました。そこで印象に残った場所を紹介します。五島久賀(ひさか)島にある牢屋の窄です。この島の迫害は、幕末から明治の初め津和野での迫害と同じ時期でした。浦上四番崩れにたいして五島崩れとよばれています。

信徒発見の年1865年の暮れ頃には久賀からも長崎にいる神父に会いに行って、島に帰って、神父の教えに従って、神社の護符などを焼き、キリシタンの信仰を宣言し、役所に届けたそうです。これが五島崩れの火種になったと考えられています。

1868年(明治元年)陰暦10月20日わずか6坪の家に200余りの人が押し込められました。中は二つに仕切られ男女別々にされていましたが、「狭苦しさは言語に絶し、他の人の体にせりあげられて、足が地に着かないで宙にあげられたまま、眠るものもあったと言われている。食べ物は朝と晩に小さな薩摩芋一切れであった。」「トイレの設備もなく、そのため不潔、悪臭、蛆虫が湧き、生きながらその蛆に下腹をかまれ13歳のタキは死亡した」。牢屋内で死亡した人が39人、牢屋を出て間もなく死亡した人が3人、計42人が命を捧げた。明治2年6月に指導者たちを除いて皆解放されたが、指導者が解放されるのはそれから2年後でした。

この牢屋の跡に牢屋の窄殉教記念聖堂が立っています。このような迫害に耐えながら信仰を、命をかけて証した人々を思い、私たちも日々信仰を明かしすることができるように祈ります。

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