10月19日 加藤 信也 神父(祇園カトリック教会,2014年10月22日確認)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 推進本部取組 / 第1の柱:平和

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最終更新日:2014年10月22日

祇園カトリック教会ホームページ(ブログ)「10月19日 加藤 信也 神父」が更新されました。

説教本文

聖書には色々な種類のお金が登場します。今日の朗読に登場したデナリオン銀貨もその一つです。これはローマ帝国の銀貨であって、ユダヤの通貨ではありません。当時のユダヤ人たちの日常生活は、ローマの通貨を使わなければ成り立ちませんでした。しかし愛国心、神への強い信仰を持つユダヤ人たちにとって、エルサレムの神殿に納める「神殿税」を、支配者であるローマ帝国の通貨で納めるなどあり得ないことでした。そこで人々は神殿の境内にいる両替商のもとで、ローマの通貨をユダヤの貨幣に交換して神殿に納めたと言われています。

ところで1デナリオンとは、どれほどの価値だったのか。これは一日の労働に対して支払われる日当の額だったとされます。この日当を貰えば、一家が、贅沢はできないけれど、何とか一日食べていけるだけのお金です。少し前の福音朗読で、ぶどう園で働く労働者のたとえ話が読まれました。朝から働いた人も夕方からの人も1デナリオンの報酬を貰う。すべての人に今日一日、生きていける糧を神は与えて下さる、というお話でした。

貨幣は権力の象徴でもあります。デナリオン銀貨にはローマ皇帝顔と名前が彫られていました。貨幣を使うたびに、ユダヤの人々はローマ帝国という強大な権力に支配されていることを思い知らされたことでしょう。

私たちも固有のお金、硬貨や紙幣を持っています。紙幣には色々な人物の顔と名前が印刷されています。これを見ると、時の政府、権力が、一体どのような人物を求めているのか、何によってその国を治めようとしているのかが見えてくるかも知れません。

権力が正当な要求をする限り、私たちには従う義務があるのでしょう。しかし、どのような種類の権力であっても、その力が及ぶ限度、限界というものがあります。そして権力の及ぶ範囲内であれその外であれ、どこにでも神の存在がある。すべては神の御手の内、神の存在の内側にある。その事実を前に、人は謙虚でなければならない。それが信仰を持つということなのかも知れません。

今日の福音朗読では、ファリサイ派の人たちが「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、真理に基づいて神の道を教え、だれをもはばからない方であることを知っています」とイエスに話しかけます。言葉では「真理に基づいて神の道を教え」と言いながら、それに従わない。それどころかイエスを殺す計画を練っているわけですから、まさに偽善者と言えるでしょう。

彼らは巧妙な罠を仕掛けます。もし「皇帝に税を納めなくてもいい」と言えば、イエスをローマへの反逆者として訴えられる。反対に「納めなさい」と言えば、「イエスは同胞を裏切った」と民衆に訴えかけることができます。

しかしイエスは見事に答えます。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に」。当たり前すぎるほど当たり前の言葉と言っていいでしょう。当たり前すぎるから反論できない。もしかしたら真理というものは、このように単純で分かりやすいものなのかも知れません。たとえば私たち祇園教会は明日、バザーを行います。そこで皆さんの善意をお金に換え、それを神の民のために使います(※編集者注/そのようにシンプルに考えれば、バザーの意義がはっきりと見えてくる、ということか)。私たちの信仰、信仰生活も確かに難しいかもしれない。が、実は極めて単純なものなのかも知れません。

この説教本文は

平和の使徒推進本部が祇園カトリック教会主任司祭から転載の許諾をもらっています。

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掲載日2014年10月22日
更新日2014年10月22日
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