「わたしたちを平和の使徒にしてください」

カテゴリー(記事区分): 公文書 / 広島司教区文書 / 司教教書

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最終更新日:2013年3月16日

~ 被爆50年を迎えて ~

わたしたちは、被爆50周年にあたり、原爆によって尊いいのちを失ったヒロシマ・ナガサキの人々に、また、アジア・太平洋戦争の犠牲となった人々に、教区の皆さんとともに思いを寄せ、心から哀悼の意を表します。

過去の歩みを振り返り、心に刻み、神と人とにゆるしを願いましょう。

戦争は誰をも幸せにはしません。キリストの光のもと、戦争の罪深さを確認し、未来に向けて平和のために働く使徒として、確かな一歩を踏み出しましょう。

今年の広島教区内でのあらゆる活動が、平和年の趣旨に沿って行われるよう望みます。

●平和年に向けての歩み

1994年8月5日の平和メッセージ『被爆五十年=広島平和年に向けて』の中で、わたしは1995年一年を、教区を挙げて平和のために祈り、平和について学び、平和を築く実践に取り組む特別の一年とすることを、教区の皆様にお願いしました。

昨年九月からは、広島教区平和年推進委員会が本格的に動き始め、教区レベル、地区レベル、小教区レベルで、平和年を推進するための会合を重ねています。また、待降節第一主日からは、広島教区全体で、小教区、修道院で【広島平和年の祈り(ひろしま平和年のいのり)】を唱え、いのりのうちに広島教区・平和年を迎える準備を続けてきました。

●過去を振り返ることは未来に対して責任を担うこと

被爆して五十年、武器を持っての戦争が終結して五十年が経過しました。

わたしたちが核廃絶のための働きを怠り、また日本の犯した歴史的過ちを自覚し、アジアの人々と和解する努力を怠ってきたことを謙虚に反省せずにはおられません。

1981年2月、広島平和記念公園で発表された平和アピールで、教皇ヨハネ・パウロ二世は『広島を考えることは、核戦争を拒否することです。過去を振り返ることは未来に対して責任を担うことです。』と、全世界の人々に向けて訴えかけました。

広島・長崎に落とされた二発の原爆は、人間を悲惨の極致に追い込み、また人類の破滅をも予感させる破壊力を示しました。今なお、多くの被爆者が後遺症に日夜悩まされています。

しかし、1945年以降、原水爆実験や原子力発電所の核物質による被爆者がたくさん生まれています。

ヒロシマ・ナガサキの悲劇は、人類への教訓として生かされなかったのです。そこには、人間のおごりをかいま見ることができます。

アジアの被害を受けた人々、例えば、在韓被爆者、強制日本軍「慰安婦」、南京大虐殺の生存者、強制労働を強いられた人々などの長い間の沈黙を破る証言・訴えを通して、わたしたちはやっと過去の歴史的事実を認めるところまできました。アジア・太平洋の戦争発動者である日本国政府は、戦争被害者への国家補償の責任を免れ得ないことは明らかですが、いまだに誠意ある対応をしていません。

わたしは教会の一員として、教会が戦争の渦の中に巻き込まれ、戦争遂行協力の道を選び取ったことを深く反省いたします。

戦争に関わった個々人は、いのちよりも国家や民族の価値を優先したことを思い起こし、次代を担う若者に戦争の愚かさを、『戦争は人間の仕業である。戦争はいのちの破壊である。戦争は死そのものである』(平和アピール)ことを、しっかり伝えてください。

●共に生きる神の国をめざして

今こそ、わたしたちは神からいただいたいのちが、大切にされる平和(シャローム)のために働く「平和の使徒」となるように招かれています。

わたしたちの日々の積み重ねが、平和の輪を少しずつ広げていきます。それが戦争という大きな過ちを、二度と繰り返さないことへつながっていきます。

人が人として生きられる社会、共に助け合いながら生きる社会、自然と調和して生きる世界を求めて日夜働いている人々は、まさに平和(シャローム)の満ちあふれる神の国をめざして生きている人々です。

広島教区としては、さまざまな問題で困難に直面している滞日外国人と共に生きるために、「広島教区滞日外国人と連帯する会」(92年)が、聴覚障害者と健聴者が共に交わる場となる「主和の輪」(93年)が、それぞれ発足し、皆さんの暖かいご協力を得て、着実に歩み出しています。

また、こどもたちがぶつかっている「いじめ」や「不登校」などに象徴的にあらわれる、歪んだ社会の現実、山陰地方や農村地域の過疎と人口の都市集中化現象、人間らしい生活を拒むような開発計画、社会の中で弱い立場に置かれている障害者や高年齢者の方々の現状など、わたしたちが日常的に取り組むべき課題が広島教区に現存しています。

これらの課題に、これまでにも増して積極的に関わっていくことも、「平和の使徒」であろうとする者にとって欠かせない活動です。

●平和な未来を築くために

平和年にあたって、わたしは次のような具体的な提案をしたいと思います。

  1. 平和のために祈りましょう。広島は人類最初の被爆地であり、教皇の平和アピールが全世界に発表された地でもあります。わたしたち広島教区は、平和のために働く「平和の使徒」となるように神から呼ばれていることを心に留めましょう。
    • 【広島平和年の祈り(ひろしま平和年のいのり)】をはじめ、教会学校、入門講座、聖書の集い、教会委員会などのさまざまな集会の際に、唱えてくださるよう望みます。
      教区民が一致して、平和のために働く基礎となります。
    • 各教会を巡回する【平和のともしび】を囲んで、平和の輪(ネットワーク)を作りましょう。
  2. アジア・世界の人々との交流、連帯を深めましょう。助けを必要としている人々の隣人に、進んでなりましょう。
    • これまでもいろいろな教会で、アジアや世界の人々と手をつなぐ地道な活動が続けられてきました。
      平和年を機会に、さらに積極的に交流の輪を広げて、共に生きる喜びを分かち合いましょう。
  3. 平和(シャローム)を学びましょう。
    • 教区や地区レベルでの平和行事(2月:教皇来広記念行事・8月:被爆五十周年記念行事・9月:正義と平和全国集会)に積極的に参加、協力してください。
    • 一週ごとの平和学習資料を、広島教区平和年推進委員会が準備しましたので、平和理解を深めるために、ミサの前後や集会などで積極的に活用してください。

●わたしたちを平和の使徒にしてください

平和年は、広島教区の使命である【平和のために働く】新しい出発の年です。

言葉や口先だけで祈りや行事を積み重ねるだけで終わらせてはなりません。

和は神の賜物であることを心に刻んで、神の働きの協力者として地上の平和を築くために、夢と希望をもって歩んでいきましょう。

『平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。』(マタイ5・9)

主キリストの平和が「平和の使徒」である皆さんの上に、豊かに注がれますように。

1995年1月1日 広島教区・平和年の始めの日に

広島教区司教 ヨゼフ 三末 篤實

参考文献

『聖書 新共同訳』

(c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation

(c)日本聖書協会 Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

※マタイ5章9節の引用箇所は司教メッセージの原文から「聖書 新共同訳」の原文に変更してあります。

備考

  • 2013年3月12日旧ホームページより転載


 

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掲載日2013年3月12日
更新日2013年3月16日
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