7月20日 裏辻洋二 神父(祇園カトリック教会,2014年7月23日確認)

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最終更新日:2014年7月23日

祇園カトリック教会ホームページ(ブログ)「7月20日 裏辻洋二 神父」が更新されました。

説教本文

先週に引き続き、今週の福音朗読にも「種まきのたとえ」が出て来ます。どちらも信仰にとって、大切な話です。

マタイ13章24節で、イエスは「天の国は次のようにたとえられる」という言葉で、たとえ話を語り始められます。神の恵みが働き始めると、さまざまなことが起きてきます。

私たちはイエスのことを知り、信仰生活を始め、人生を歩んでいく。そして死んだら天の国に行くと思っておられるかも知れませんが、聖書にはそんなことは書かれていません。今日の「毒麦のたとえ」にあるように、ある者は倉に収められ、ある者は炉に投げ入れられ、焼き尽くされる。誰もが救われるわけではないんです。

ルカの13章にこうあります。

「主よ、救われる者は少ないのでしょうか」と言う人がいた。イエスは言われた。(中略)「入ろうとしても入れない人が多いのだ」。

だから私たちは目をさましていなければならない。生きている間が勝負です。なぜなら、生きている間だから聖書を読める。神さまの言われることを聞き、「神さま、赦してください」と言える。中には「歳をとって、具合が悪くなったらベッドに縛られる。そうしたら聖書読む」と言う人もいるが、日頃の「練習」を怠っていたら、病気で寝込んだ時、何もできないですよ。日頃から「イエスはキリストです。救い主です。イエスが十字架で救いを成し遂げられたことを信じます。神さまを信じます」と寝ても覚めても祈り続けていなければ。詩編51番にこうあります。

神よ、わたしを憐れんでください  御慈しみをもって。
深い御憐れみをもって 背きの罪をぬぐってください。
わたしの咎をことごとく洗い 罪から清めてください。

どうも私たちは、何が本当に必要か分かっていない。それは聖書を読まないからです。罪とは何か。それは神の言葉に逆らうことです。神の言葉に触れるには、聖書を開く必要がある。聖書は全部フリガナがふってありますから、読もうと思えば誰でも読むことができるはずです。

しかし聖書を読み始めると、なぜか眠くなるという人もおられるでしょう。ゲツセマネの園での弟子たちもそうでした。イエスが祈り始められると、すぐにコロっ眠ってしまった。聖書を読み始めると眠くなるのも同じです。神を迎えようとするのを悪魔がいやがるんです。しかし、眠ってしまったら祈っていることにはなりませんよ。それは「怠っていた」だけです。私たちは「悪いもの」に取り囲まれています。「悪いもの」とは人間にとりついて悪さをする悪霊のことです。ヨハネの第一にの手紙にもこうあります。

この世全体が悪い者の支配下にあるのです。(1ヨハネの手紙 5:19)

イエスが殺された時も、世は「悪い者」の支配下にありました。不信仰、ねたみの霊がユダヤ人たちにとりつき、イエスを十字架にかけました。悪魔たちは大喜びでした。「神の支配」を砕いた。メシアを葬った。これで片がついた、と悪魔たちは思ったことでしょう。もう大宴会ですよ。ところが悪魔たちのたくらみは大失敗に終わった。神はこのような思いもよらぬ形(イエスの死と復活)で人類の救いを成し遂げられた。悪魔たちは腰を抜かしました。こうしたことは、パウロの書簡(ローマ、エフェソ、フィリピ、コロサイ)に書かれています。こられを少なくとも30回は読まなきゃいけません。

冒頭にも言ったように、天の国に入るための道は、決して平坦ではありません。今日の福音朗読をもう一度、読み返してみてください。

それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに近寄ってきて…

イエスの周りには群衆と弟子たちがいますが、イエスは群衆を相手にしていない。私たちもボーっとしていると、イエスさまから「群衆」とみなされてしまいますよ。私たちは、人生が終わった時点で必ず裁きの場に立ち去れる。まんびり、のほほんではダメ。救いに至るためには何をしたらいいのかを自分で掴まないと。ぼんやりしていると、独麦のように炉に投げ込まれますよ。そのために、いくつか、参考になる聖書の箇所をご紹介します。

マタイ7章21節。「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言うものが皆、天の国に入るわけではない。わたしの父の御心を行う者だけば入るのである」

「御心を行う者」とは、どんな人か。聖書を読めば、それは「神の言葉を聞いて、行う者」だと分かります。「神の言葉を聞く」には聖書を読まなければならない。読まないと、「あなたたちのことは全然知らない」(マタイ7:23)と突き放されてしまう。私が言ってるんじゃありません。聖書に書いてあるんです。もしイエスさまから「全然知らない」と言われるハメに陥ったらえらいことですよ。

生きていれば、やることが沢山あります。だからこそ、捨てるべきものは捨てる。優先順位をつけないと。一番大切なことは何か、それは聖書を読めばわかるはずです。

先週の福音朗読に、次のようなイエスさまのお言葉がありました。「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されている」(マタイ13:11)。天の国の秘密とは、神さまのご計画、信仰の大切な秘密(信仰の神秘)です。それは私たちが掴むものではあるが、それは自分の力によって掴み取るのではなく、上から与えられたものを受け取るのです。神さまがお与えくださるものを受け取るのだから、あれこれ勉強したって仕方がありません。しかし何もしないでボーっとしているのは許されない。

詩編119の130節にこうあります。

御言葉が開かれると光が射し出で 無知な者にも理解を与えます。

私たちが十分に神さまと関わり、聖書をゆっくり読めば、聖書から神の御言葉が自らを開き、聖書の言葉の光がこちら側にやってくる、ということです。

この説教本文は

平和の使徒推進本部が祇園カトリック教会主任司祭から転載の許諾をもらっています。

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