2014年05月11日 復活節第4主日(ヨハネ福音書 10・1-10)

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最終更新日:2014年6月2日

聖書朗読箇所

第一朗読:使徒言行録 2・14a,36-41

第二朗読:ペトロの手紙一 2・20b-25

福音朗読:ヨハネ福音書 10・1-10

Painted by K.Yamaguchi
Painted by K.Yamaguchi

1-6 「羊の囲い」のたとえ

「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えてくる者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話がなんのことか分からなかった。

7-21 イエスは良い羊飼い

イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。─狼は羊を奪い、また追い散らす。─彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしはひつじのために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」

この話をめぐって、ユダヤ人たちの間にまた対立が生じた。多くのユダヤ人は言った。「彼は悪霊に取りつかれて、気が変になっている。なぜ、あなたたちは彼の言うことを耳を貸すのか。」ほかの者たちはいった。「悪霊に取りつかれた者は、こういうことは言えない。悪霊に盲人の目が開けられようか。」

※主日の福音朗読箇所に指定されている章節を含む、見出しで括られた箇所を掲載している。

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掲載日2014年5月8日
更新日2014年6月2日
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編集者web管理者(竹内)
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