『平和の使徒となろう』(2006年「司教宣言」に応えて)
カテゴリー(記事区分): 公文書 / 祈り / 広島教区の祈り
キーワード(索引語): 平和の使徒となろう,祈り・福音の教え・信仰教育
最終更新日:2013年3月22日
父である神よ、
あなたは広島教区民の私たちを、主イエスがもたらされた平和の福音を
伝えるために、特別に召しだしてくださいました。(1)
あなたに祈り求めます。
「私たち教会」(2)が、キリストの土台の上に(3)
「平和」「きょうどう」「養成」の三つの柱(4)をすえて、
ますますイキイキとした信仰共同体(5)へ成長することができますように。
私たち一人ひとりが、私に与えられている恵みの力を活かしながら、
主においてひとつにとなり、福音宣教に邁進することができますように。(6)
神よ、あなたの聖霊の息吹を新たに送ってください。
そして、私のうちに福音宣教の熱意を燃え立たせ、
「キリストの平和の使徒」として遣わしてください。(7)
私たちの主、イエス・キリストによって。アーメン。
解説
- キリストがもたらした福音は、神の国の到来であり、神における平和、主の平和そのものです。福音宣教はつまり、主の平和を告げ、キリストと共に平和を生み出してゆくことです。教皇ヨハネ・パウロ二世は『平和アピール』の中で、「ヒロシマを考えることは平和に対しての責任を担うことです。」と述べました。また『司教宣言』は、《広島教区における宣教司牧の基本方針》で、まず、「平和の使徒となろう」を広島教区の固有の召命とし、あらゆる活動の源泉であるとしました。
- 福音宣教に派遣されている「教会」とは、私たち自身であり、それ以外の何ものでもありません。2005年の『復活祭のメッセージ』の中で、教区代表者会議の意義を述べる際、三末篤實司教は「私たちが教会である」ことを強く意識するよう訴えています。
- 私たちのすべての活動は、常にキリストという土台の上に、キリストと共になされなければなりません。
- 2002年の『教区大会』以降のいくつかの行事や、特に教区代表者会議の準備の中で、「私たち教会」の現実と現状が浮き彫りにされました。そして、そこから5年後、10年後の教区の姿を見据えたとき、見えてきたものを『教区代表者会議』は、司教に提言しました。これを受けて『司教宣言』は、「平和」「きょうどう」「養成」を三つの柱とすることを宣言しています。
- 教区代表者会議は、一人ひとりの信仰をイキイキさせ、教会の明日の宣教を考える集いであるということで、そのテーマを「信仰イキイキ 明日の教会」としました。教会はそのような信仰共同体です。
- 教会のメンバーである私たち一人ひとりには、カリスマと呼ばれる神様からの固有の恵みと力が与えられており、それを活かし、キリストにおいて一致して働くときに、教会の福音宣教の使命が果たされてゆきます。
- とは言え、他の誰かではなく、私自身が聖霊によって満たされ、派遣されてゆくという自覚を神は望まれております。
備考
- 2007年03月01日 初掲載
- 2013年03月22日 旧ホームページより転載
文書(ページ)情報
掲載日 | 2013年3月22日 |
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更新日 | 2013年3月22日 |
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推進・区分 | 広島教区の祈り |
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編集者 | web管理者(竹内) |
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