連載⑤「今、殉教を生きるとは?」

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現代の世界と社会で、徹底して司祭職の霊性を生きるために

第四に、世界の歴史、救いの歴史に足をおいてことを判断し、福音に生きた司祭たちの姿です。

現代は、地球が一つの家族のような世界ですから特にこの点は示唆に富みます。たくさんの宣教師によって育った日本の教会もいまや大人として成熟した教会として立つときです。岐部神父のスケールの大きさ、中浦神父の忍耐、金鍔(きんつば)神父の豪胆さ、結城神父の繊細さはいずれも、現代教会で宣教司牧に苦労して生きる司祭へ勇気を与えてくれます。

ペトロ・カスイ岐部神父を取り上げ、今、日本の教会に必要な預言者的な意味を考えたいと思います。岐部は激動のなかの豊後(今の大分県)で信仰熱い両親のもとに生まれ、幼い頃からキリシタン学校で学びます。1614年、徳川幕府の追放令によって、当時ヨーロッパ人の居留地であった中国南部マカオに移りますが、日本人学生に対する偏見や経済難を理由に司祭養成機関は閉鎖。彼は落胆することなく、船でインドへ渡り、そこでも司祭叙階が叶いませんでした。そして、パキスタン、イラン、イラク、ヨルダンへとシルクロードを横断し、ローマへと向かいます。エルサレムにたどり着いたとき、岐部は自分の傷だらけの足をイエスが十字架を背負って歩んだ悲しみの道に踏み重ね、深い瞑想のひとときを持ったに違いありません。彼がおそらく日本人としての初めての聖地巡礼者でした。

1620年、ローマのイエズス会本部の扉の前に立った不屈の青年を一目見たローマの幹部は、彼についての上長からの批評はかんばしくなかったので、ビックリ仰天したようです。しかし、同年、念願叶って司祭に叙階されました。33才でした。日本から届く激しさを増す迫害の報告を知って、居ても立ってもおれず、彼は直接総会長に許可を願い、海路、途中何度も難破や海賊の難に遭いながらついに16年ぶり、1630年、厳しい迫害のもとにある日本へ舞い戻ります。すぐさま、長崎に直行し迫害を受ける信者を励まし、京都・東北へと足を伸ばし、米沢に活動の拠点を置きます。9年後、仙台藩内で捕らえられ、江戸で将軍家光や重臣直々の詮議を受け、穴吊しの刑に処せられます。深く掘られた穴の上にやぐらが組まれ、足から逆さまにやぐらから吊り下げられます。しばらくすると意識が朦朧(もうろう)とし判断力が低下したところで棄教を迫るのですが、岐部は最期まで意識がはっきりとしていて、しかも同じ穴につるされていた同宿(宣教師や説教師と生活を共にし、伝道を助ける信者)を励まし続けました。それで怒った刑吏たちは、彼を穴から引き出して殺しました。

宗門奉行、井上筑後守政重(いのうえちくごのかみまさしげ)は次のように記しました。「キベヘイトロはコロび申さず候。ツルシ殺され候。同宿ども勧め候ゆえ、キベを殺し申し候」。1639年の9月、52才でした。

備考



 

   
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掲載日2013年3月15日
更新日2017年2月1日
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