聖書通読・グループでの分かち合いのために(ヒント)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 推進本部取組 / 第1の柱:平和

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聖書は今日あなたに語り掛けられる神のみことばです。

そのみことばにあなたは何を感じ、何を得て、何を伝えようとするでしょうか。

教皇フランシスコは「福音の喜び」の中で、日々、神と対話することをすすめておられます。

福音の喜びより

祈りにしっかりと支えられて、今日も聖霊に祈りましょう。祈りなしには、すべての行為は空虚なものとなりかねず、福音の告知は、ついには魂の抜けたものになってしまいます。(259)

礼拝のため、祈りのうちにみことばと出会うため、また主との誠実な対話のためにまとまった時間を設けなければ、務めは容易にその意味を失い、疲労と困難のために衰え、熱意は冷めてしまいます。(262)

みことばに耳をかたむけるのとそれを知らずにいるのとでは大違い、イエスを観想し、礼拝し、イエスのうちに憩うのと、そうしないのとでは大違いです。福音に基づいて世界の建設を目指すことと、自己の理想のみによってそれを試みることとは全く異なることです。(中略)いかなるときもイエスの弟子である真の福音宣教者とは、イエスがともに歩み、ともに語らい、ともに呼吸し、ともに働いてくださることを知る者です。(266)

イエスの生涯、貧しい人々に対する接し方、振る舞い、一貫性、日常的で気負いのないやさしさ、そしてその最後の全面的な奉献、それらすべては尊く、わたしたち一人ひとりの生活に訴えています。それにあらためてきづくたびに確信が得られます。人がそれだとわかっていなくとも必要としているもの、これこそまさにそれなのだと。(265)

グループで一緒に同じ個所を読み、分かち合うことは、福音を述べ伝える訓練といえます。

みことばを通して主がいわんとすることに耳を傾け、聖霊によって造り変えてもらうための具体的な方法があります。それは「霊的読書」(レクチオ・ディビナ)と呼ばれるものです。これは、わたしたちがみことばに照らされ新たにされるための祈りの時間の中で、神のみことばを読むことです。(152)

神の前で、テキストをリラックスして読み、たとえば次のように尋ねてみるのはよいことです。「主よ、このテキストはわたしに何を語っているのですか。そのメッセージによって、わたしの生活の何を変えようとなさっているのですか。このテキストの何がわたしを煩わせるのでしょうか。どうしてここに興味がもてないのでしょうか」。あるいは、「なぜわたしはこのテキストが気に入ったのだろう。このみことばの何がわたしを駆り立てるのだろう。何がわたしを引き付けるのだろう。なぜ引きつけられるのだろう」。(153)

実践編

心の動きや気づきなど、感じたことをノートに書き留めておきましょう。また、もしその促しから、祈りとしてささげたいことがあれば、それも書き留めておきましょう。

グループで集まった時には―

祈り(聖歌でもよいです)で始め、再度読んできた個所を読みましょう。そしてノートに書き留めたことを分かち合います。分かち合いの後に再度祈って終わります。

安心して分かち合うための注意

分かち合いは、その方への神からの促しです。分かち合いに対して、意見をすることは控えます。

外の人に話さないようにしましょう。

分かち合いは講義ではありません。知識を述べるのでなく、感じたことを述べましょう。

もし、読んでいてわからないことがあったら・・・?

自分たちで調べることも大事ですが、グループに指導者を招いて解説を受ける機会があってもよいでしょう。

一番重要なことは、基本的なメッセージを思い起こすことです。それは人となった神、わたしたちのためにご自分を与え、今なお生きて、救いと友情をわたしたちに差し出す神の愛です。このメッセージを伝える際には、謙虚な態度でそれを分かち合い、つねに学ぶ者としてあかしをしなければなりません。(128)

神のことばはまた、わたしたちが民であることを知るよう招いています。(中略)宣教とは、イエスへの熱意であるとともに、イエスの民への熱意です。十字架上のイエスの前にたたずむとき、わたしたちは、わたしたちに尊厳を与え、支えてくださるイエスの愛を知ります。しかし同時に、私たちの目が開かれているのであれば、イエスのまなざしは広がり、ご自分のすべての民に対してあふれる愛と熱意を注がれていると気づき始めます。そうして、イエスはわたしたちを道具として用いて、愛する民にいっそう近づきたいと望んでおられることを、あらためて見いだすのです。イエスは、民の中にいるわたしたちを捕らえ、民の中へと送り出すのです。(268)

さあ、私たちも神との出会いの喜びのうちに送り出されましょう。「福音の喜び」も読んでみると、教皇様からの励ましをうけると思います。

なぜ、聖書の通読や写経が勧められるのですか?

聖書をしらないことは、キリストをしらないことである。(聖ヒエロニモ)

聖書は読めば読むほど味わいが深くなり、自分の心に神の声がより強く響いてくるようになります。さらに、それに応えて生きることにより、神の言葉が私たちの中で開花していくのです。(白浜司教 広島教区報 No.112)

聖書は福音宣教の源泉です。(教皇フランシスコ 使徒的勧告「福音の喜び」174)

福音化には、みことばに親しむことが必要です。教区や小教区、その他カトリックの諸団体には、聖書の学びに真剣に粘り強く取り組むこと、さらに個人や共同での霊的読書を促すことが求められています。(教皇フランシスコ 使徒的勧告「福音の喜び」175)

みことばによって受けた喜びを、周りの人々に伝えていくことが、福音を述べ伝えることですね。

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掲載日2018年4月23日
更新日2018年4月28日
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