年間第6主日
主日A年
第一朗読:シラ書 15・15-20
第二朗読:コリントの信徒への手紙一 2・6-10
福音朗読:マタイ福音書 5・17-37
17-20 律法について
「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するためである。はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消え去ることはない。だから、これらの最も小さい掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。しかし、それを守り、そうするように教える者は、天の国で大いなる者と呼ばれる。言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」
21-26 腹を立ててはならない
「あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはない。」
27-30 姦淫してはならない
「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。もし、右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。からだの一部がなくなっても、全身が地獄に投げ込まれない方がましである。もし、右の手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい。体の一部がなくなっても、全身が地獄に落ちない方がましである。」
31-32 離縁してはならない
「『妻を離縁する者は、離縁状を渡せ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる。」
33-37 誓ってはならない
「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムに誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」
※主日の福音朗読箇所に指定されている章節を含む、見出しで括られた箇所を掲載している。
主日B年
第一朗読:創世記 3・16-19
第二朗読:コリントの信徒への手紙一 10・31~11・1
福音朗読:マルコ福音書 1・40-45
40-45 重い皮膚病を患っている人をいやす
さて、重い皮膚病をもざらっている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。イエスはすぶにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいないところにおられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。
※主日の福音朗読箇所に指定されている章節を含む、見出しで括られた箇所を掲載している。
主日C年
第一朗読:エレミヤ書 17・5-8
第二朗読:コリントの信徒への手紙一 15・12,16-20
福音朗読:ルカ福音書 6・17,20-26
17-19 おびただしい病人をいやす
イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、イエスの教えを聞くため、また病気をいやしていただくために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人々もいやしていただいた。群衆は皆、何とかしてイエスに触れようとした。イエスから力が出て、すべての人の病気をいやしたからである。
20-26 幸いと不幸
さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、
あなたがたは悲しみ泣くようになる。
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
※主日の福音朗読箇所に指定されている章節を含む、見出しで括られた箇所を掲載している。
教会公文書
- 年間(第1週~第9週)(カトリック中央協議会)
典礼暦年に関する一般原則および一般ローマ暦
2 主日
4 毎週の初めの日は、主の日、または主日と呼ばれるが、その日に教会は、キリストの復活の当日にまでさかのぼる使徒伝承により、過越の神秘を祝う。このため主日は、根源の祝日としなければならない。
5 主日の祭儀は、独特の重要性をもち、祭日と主の祝日だけがこれに優先する。ただし、待降節、四旬節、および復活節の主日は、すべての主の祝日と、すべての祭日に優先する。これらの主日と重なる祭日は、受難の主日と復活の主日に重なる場合を除き、次の月曜日に移動される。
6 年間
43 固有な特質を備えた諸節を除く場合、キリストの神秘の種々の面を取り立てて祝わない週間が、一年の周期の中で、33なし、34週残ることとなる。こういう週間、また、とりわけ主日は、むしろキリストの神秘全体を追憶するものである。この期間は「年間」という名で呼ぶ。
44 年間は、1月6日直後の主日の次にくる月曜日に始まり、四旬節前の火曜日まで続く。その後、年間はまたあらためて、聖霊降臨の主日の次にくる月曜日に始まり、待降節第1主日の「前晩の祈り」の前で完了する。「教会の祈り」とミサ典礼書に記載されているこの期間の主日と週日用典礼文は、この規則に準じて用いる。
広島司教区
ローマ教皇
ベネディクト16世
- 教皇ベネディクト十六世の2009年2月15日の「お告げの祈り」のことば 重い皮膚病を患う人のいやし (カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2010年2月14日の「お告げの祈り」のことば 「幸い」の告知 (カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2011年2月13日の「お告げの祈り」のことば 律法の完成者イエス (カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2012年2月12日の「お告げの祈り」のことば 重い皮膚病を患う人のいやし (カトリック中央協議会)
フランシスコ
- 教皇フランシスコの2014年2月16日の「お告げの祈り」のことば わたしが来たのは律法を完成するためである (カトリック中央協議会)
- 2017.02.12 Angelus Domini (ローマ教皇お告げの祈り)
備考
文書(ページ)情報 | |
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掲載日 | 2017年2月11日 |
更新日 | 2017年2月18日 |
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編集者 | web管理者(竹内) |