年間第4主日
主日A年
第一朗読:ゼファニヤ書2・3; 3・12-13
第二朗読:コリントの信徒への手紙一1・26-31
福音朗読:マタイ福音書5・1-12a
1-2 山上の説教(五-七章)を始める
イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
3-12 幸い
「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、
その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、
その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、
その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、
その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、
その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身の覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」
※主日の福音朗読箇所に指定されている章節を含む、見出しで括られた箇所を掲載している。
主日B年
第一朗読:申命記 18・15-20
第二朗読:コリントの信徒への手紙一 7・32-35
福音朗読:マルコ福音書 1・21-28
21-28 汚れた霊に取りつかれた男をいやす
一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者として教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々まで広まった。
※主日の福音朗読箇所に指定されている章節を含む、見出しで括られた箇所を掲載している。
主日C年
第一朗読:エレミヤ記1・4-5,17-19
第二朗読:コリントの信徒への手紙一12・31~13・13
福音朗読:ルカ福音書4・21-30
16-30 ナザレで受け入れられない
イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある箇所が目に留まった。
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵の年を告げるためである。」
イエスは巻物を巻き、係のものに返して席に座れた。会堂にいる全ての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「このひとはヨセフの子ではないか。」イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルにはおおくのやもめがいたが、エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサプレタのやもめのもとにだけ遣わされた。また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかだれも清くされなかった。」これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
※主日の福音朗読箇所に指定されている章節を含む、見出しで括られた箇所を掲載している。
教会公文書
- 年間(第1週~第9週)(カトリック中央協議会)
典礼暦年に関する一般原則および一般ローマ暦
2 主日
4 毎週の初めの日は、主の日、または主日と呼ばれるが、その日に教会は、キリストの復活の当日にまでさかのぼる使徒伝承により、過越の神秘を祝う。このため主日は、根源の祝日としなければならない。
5 主日の祭儀は、独特の重要性をもち、祭日と主の祝日だけがこれに優先する。ただし、待降節、四旬節、および復活節の主日は、すべての主の祝日と、すべての祭日に優先する。これらの主日と重なる祭日は、受難の主日と復活の主日に重なる場合を除き、次の月曜日に移動される。
6 年間
43 固有な特質を備えた諸節を除く場合、キリストの神秘の種々の面を取り立てて祝わない週間が、一年の周期の中で、33なし、34週残ることとなる。こういう週間、また、とりわけ主日は、むしろキリストの神秘全体を追憶するものである。この期間は「年間」という名で呼ぶ。
44 年間は、1月6日直後の主日の次にくる月曜日に始まり、四旬節前の火曜日まで続く。その後、年間はまたあらためて、聖霊降臨の主日の次にくる月曜日に始まり、待降節第1主日の「前晩の祈り」の前で完了する。「教会の祈り」とミサ典礼書に記載されているこの期間の主日と週日用典礼文は、この規則に準じて用いる。
広島司教区
ローマ教皇
ベネディクト16世
- 教皇ベネディクト十六世の2006年1月29日の「お告げの祈り」のことば 愛と聖性(カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2007年1月28日の「お告げの祈り」のことば 聖トマス・アクィナスの記念日にあたって(カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2008年2月3日の「お告げの祈り」のことば さまざまな祈り(カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2009年2月1日の「お告げの祈り」のことば メシアの秘密(カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2010年1月31日の「お告げの祈り」のことば 愛の賛歌(カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2011年1月30日の「お告げの祈り」のことば 真福八端(カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2012年1月29日の「お告げの祈り」のことば イエスの権威(カトリック中央協議会)
- 教皇ベネディクト十六世の2013年2月3日の「お告げの祈り」のことば 預言者は、自分の故郷では歓迎されない(カトリック中央協議会)
フランシスコ
- Angelus Domini 2015.02.01 (ローマ教皇お告げの祈り)
- Angelus Domini 2016.01.31 (ローマ教皇お告げの祈り)
- 2017.01.29 Angelus Domini (ローマ教皇お告げの祈り)
備考
文書(ページ)情報 | |
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掲載日 | 2017年1月28日 |
更新日 | 2017年2月4日 |
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編集者 | web管理者(竹内) |