10月12日 加藤 信也 神父(祇園カトリック教会,2014年10月15日確認)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 推進本部取組 / 第1の柱:平和

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最終更新日:2014年10月15日

祇園カトリック教会ホームページ(ブログ)「10月12日 加藤 信也 神父」が更新されました。

説教本文

聖書の中には、イエスさまがたとえで話をされる場面が数多くあります。今日の福音朗読にある結婚式のたとえ話もその一つです。

この話は前半と後半に分かれています。前半部分では、王子の結婚式への招待を無視した人々、あるいは王の家来を殺してしまった人たちの町を、王が軍隊を送って滅ぼしてしまいます。

先週の福音朗読ではぶどう園の農夫の話が出てきました。ある主人がぶどう園を農夫に貸し与えて旅に出る。収穫を受け取ろうとして僕たちを送るが、農夫たちは僕たちを袋叩きにしたり、殺したりした。最後に主は息子を送る。しかしその息子は殺されてしまう、という話です。

このぶどう園のたとえ話も、今日の結婚式のたとえ話も、実はどちらも同じメッセージを私たちに伝えようとするものです。今日のたとえ話の後半では王が家来に、誰でもいいから婚宴に連れてきなさい、と命じます。家来は、善人でも悪人でも、誰彼かまわず婚宴に連れてきます。ところが婚礼の服を着ていない一人だけが、手足を縛られ、外に放り出されてしまいます。ここで皆さんに考えていただきたいことがあります。呼び集められた人々の中には、善人も悪人もいました。では縛られた人は善人だったのか、悪人だったのか。そもそも善人、悪人の区別とは何か。

我々は、その人がどのような生きたをしてきたのか、すなわちその人の過去を見て、善人か悪人かを判断します。しかし今日のたとえ話に登場する王様は、今日、今この時、婚礼の席に相応しくない恰好をしている一人だけを外に放り出します。過去がどうであったかは問われていないのです。

イエスさまは約2000年前にこの世に現れました。何のために現れたのか、その目的ははっきりしています。公生活の初めに語られた言葉、そこにすべてが凝縮されています。

「悔い改めよ、天の国は近づいた。」(マタイ4:17)

すべての人を天の国に招きたい、一人残らず天の国に入れてしまいたい。これが神さまのみこころあり、イエスさまがこの世に現れた唯一の目的であると言ってもいいでしょう。しかし祭司長や長老といったユダヤの指導者たちは、神さまが私たちのために準備した下さった結婚式への招待を拒んでしまいました。

ではなぜ、彼らは招待を拒んだのか。たとえ話に戻れば、招待を無視した人たちにとっては畑や商売が何より大切だったのでしょう。もちろん畑や商売、すなわち自分の仕事を大切にする、一生懸命働くのは決して悪いことではないし、むしろ人としてなすべき大切な努めです。だが人間的な努力、人間的な判断に固執するあまり、それ以上に大切なものがあることを忘れてしまった。別な言い方をすれば、世界の中心から神を追い出し、中心に自分自身が座ってしまったところに大きな問題があると言えるのではないでしょうか。

イエスさまのたとえ話は、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」という言葉で結ばれます。しかし神さまの思いは、一人残らず神の国に入ってほしい、入れてしまいたい、というものに違いありません。だからこそ私たち一人一人に、今、この時に為さている「悔い改めなさい」という呼びかけに応えていきたいものです。

この説教本文は

平和の使徒推進本部が祇園カトリック教会主任司祭から転載の許諾をもらっています。

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掲載日2014年10月15日
更新日2014年10月15日
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編集者web管理者(竹内)
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