7月13日 加藤信也 神父(祇園カトリック教会,2014年7月18日確認)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 推進本部取組 / 第1の柱:平和

キーワード(索引語): 
最終更新日:2014年7月17日

祇園カトリック教会ホームページ(ブログ)「7月13日 加藤信也 神父」が更新されました。

説教本文

今朝、目覚るとすぐにラジオをつけました。雨が強く降っていました。天気予報を聞きながら、「今日、果たしてミサに皆さんは来て下さるだろうか。少ないかもしれない。もし誰も来なかったら寂しいな」。そんなことを思いながら起床しました。幸い、こうして沢山の方々が来て下さり、とてもうれしく思っています。

こうやって皆さんの前で話をすること。慣れもありますが、やはり緊張します。大切な話をするからこその緊張もあります。では緊張しないためにはどうすればいいか。入念に準備をし、内容を頭の中に入れておくことが必要です。

イエスもたくさん人たちの前で話をされました。聖書には「群衆」という記述があります。さらに今日の福音朗読の箇所では「大勢の群衆」と記されています。一体どれほどの人たちが集まったのかは分かりませんが、おそらくイエスも緊張されたことだろうと思います。きっとイエスも公生活を始め、人々に話をされるまでに入念な準備を行われたに違いありません。イエスが公生活に入られたのは、おおよそ30歳の頃だろうと言われています。とすればイエスは30年間準備しておられたわけです。その長い間、考えに考えて語られた最初の言葉は、非常に短いものでした。

イエスか公生活の最初に話された言葉は、「悔い改めよ。天の国は近づいた」というものでした。たとえ短くても、このメッセージを伝えるためにイエスは公生活に入られたのです。このメッセージの中心は「天の国」です。そしてただ「天の国が近づいた」というだけでなく、イエスはご自分の目の前にいる群衆が1人も欠けることなく天の国に入れるよう、そのために活動されたのです。

イエスは人々の天の国とはどのようなものかをさまざまな方法で繰り返し教えられました。一つの方法は言葉です。福音書にはいくつもの「たとえ話」が出てきますが、その冒頭で、イエスはしばしば「天の国は次のようなものである」と言われます。

さらにイエスは言葉だけでなく奇跡によっても天の国を示されました。病人を癒す。死んだ人を生き返らせる。水の上を歩く。パンを増やす……。福音書にはいくつもの奇跡が記されていますが、これらも実は、これもイエスが天の国を理解させるために行ったこと、すなわち奇跡を行うことで天の国を皆に見えるように示されたのです。病に苦しむ人はいない。死んだ人も生き返り、誰一人飢えることがない。これが天の国である、とイエスは行いによって示されたということです。

今日の福音朗読「種まき」の箇所も、そんなイエスのメッセージを伝えるものです。種は4か所に落ちました。そのうちの3か所(道端、石だらけで土の少ない所、茨の間)は、私たちの目から見ると、とても種をまくにふさわしい場所とは思えません。どうして収穫得られない場所に種をまくのか。今日の福音をよく読んでみると「まく」ではなく「落ちる」となっています。「聖書と典礼」にも説明があるように、イエスの時代のパレスチナでは、種をあたり一面にまき散らし、それから棒のようなもので地面をひっかき回して種を地中に埋めていたようです。もしより多くの収穫を得ることを第一に考えるなら、我々ならこんなまき方は決してしないでしょう。

しかし、(場所を選ばす種をまくこと)これこそがイエスが行ったこと、イエスのお考えになった「種まき」なのです。イエスはどんな地にも種をまこうとされました。肥沃な土地だけでなく、あまねく場所に、ほんのわずかな可能性に賭けて種をまく、すなわち天の国を告げ知らせる。みことばを喜んで開け入れる人だけでなく理解しない、拒む人にも告げ知らせる。これがイエスのなさったことです。

今日の福音朗読に続くマタイ13章31節には、「からし種」のたとえ話があります。

どんな種よりも小さい「からし種」。しかし成長すればどの野菜よりも大きくなり、鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。種はその内側に命を持っています。しかし芽を出し、成長するには土、水、空気、太陽といったさまざまな力が必要であり、それらすべてが揃った時、はじめて豊かな恵みがもたらされます。種が己ひとりの力で成長することはできません。同じように私たちも1人ではどうにもならない。みんなが一緒になって、はじめて豊かな実りが得られます。

イエスは天の国の到来を告げるのに先立ち、「悔い改めよ」と言われました。この「悔い改め」は私たちが豊かな実りをもたらす上でとても大切です。悔い改める。別の言い方をすれば方向転換する。「今日までの私はこうだった。しかし今からの私は違う。方向転換して正しい道を歩む」。この悔い改めこそが、天の国に入る鍵だと言えます。そして、悔い改めさえすれば、1人残らず天の国に受け入れると、イエスは約束して下さいました。

この説教本文は

平和の使徒推進本部が祇園カトリック教会主任司祭から転載の許諾をもらっています。

関連記事

この記事は

小教区ホームページ更新をお知らせしています。

「平和の使徒となろう」ガイドライン項目「第2の柱:きょうどう-3.各教会、組織、グループを超えた交流を深め、情報の共有化をはかる」に基づいて提供しています。

news-va

禁止事項等

  • 当ページの記事の転載を禁じます(リンクすることは可能です)
  • 記事転載を希望の方は、著作権者である「祇園カトリック教会」に著作権物使用許諾申請してください

募集中



 

文書(ページ)情報

掲載日2014年7月17日
更新日2014年7月17日
閲覧回数1,706 Views
推進・区分第1の柱:平和
タグ(索引語)
編集者web管理者(竹内)
次の記事
前の記事