4月6日 山根敏身 神父(祇園カトリック教会,2014年4月10日確認)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 推進本部取組 / 第1の柱:平和

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最終更新日:2014年4月10日

祇園カトリック教会ホームページ(ブログ)「4月6日 山根敏身 神父」が更新されました。

説教本文

四旬節は、ご復活を迎えるにあたり、神さまからの回心の呼びかけに応える時です。

そうした観点から、今日のみことばについてお話ししたいと思います。

第一朗読はエゼキエルの預言でした。イスラエルがバビロニアに滅ぼされ、イスラエルの民がバビロンで抑留生活を送る、その困難な時、エゼキエルの良預言が人々に語られました。

エゼキエルは主に導かれて骨の谷に降ろされます。そこで主のことばがエゼキエルに臨みます。

―私がお前たちの中に霊を吹き込むと、お前たちは生きる。わたしはお前たちを自分の土地に住まわせる。その時お前たちは主であるわたしがこれを語り、行ったことを知るようになる。

枯れたに息を吹きかけると、骨と骨がつながり、立ち上がる。もう一度息を吹き込むと、肉がついてよみがえる。そういう話です。この話の意味するところは、イスラエルの民がバビロニアから解放され、政治的にも宗教的にも自由を得る。ペルシャが興り、バビロニアが滅ぼされ、イスラエルの人たちが故国に帰れる。このことが、(イエスを信じる人たちから)復活の出来事を感じさせるものとして捉えられてきたわけです。

今日の福音朗読では、ラザロの復活が語られました。聖書の言葉は、永遠の命を考えよ」と私たちに呼びかけています。私たちはともすれば目先の利益に囚われがちです。お金でしょうか。名誉でしょうか。健康でしょうか。ともかく私たちは、そうしたものに囚われがちな弱い心の傾きを持っています。そんな私たちだからこそ、日曜日ごとにこうして集まって、みことばを聞き、神さまの教えを心にとめて、新しい気持ちで、歩み始める力をいただくわけです。

イエスさまは、「永遠に心を向けよ」と言われています。では永遠の命に心を向けるにはどうすればいいのか。死後ではなく、今、私たちが本当に復活の命、永遠の命に生きるとはどういうことか。一つだけポイントをお話したいと思います。

先週の日曜日、子どもミサで話したこと。それは、信仰が大切、信じることが大切ということでした。私はインドに行った時の体験を話しました。まず、空港の両替所で換金しようとしたら、随分安いレート換算で、危うくだまされそうになる。タクシーに乗ると、相場の数倍、数十倍の運賃を吹っかけられる。その時、心の中に湧き出たのは「信じたい」という思いでした。人間は信じることなしに行きてはいけない。そのことを子どもたちに話しました。

すると後で、インド人の神父から言われました。「あなたの話は、子どもたちに『インドといえば騙す国』というイメージを植え付けた、と。以前、幼稚園でマザーテレサの話をしたことがあります。マザーテレサは、貧しい人のために素晴らしい働きをしたと語ることで、もしかしたら子どもたちに「インド=貧しい国」というイメージを植え付けてしまったかも知れません。インドはすばらしい歴史を持つ国です、4大文明の一つ、インダス文明発祥の地であり、仏教文化もインドからアジア全域に広がりました。しかし、まされた話、貧しい話を耳にすると、マイナスのイメージを持ってしまいます。あるいはイスラム教と聞くと、原理主義、アルカイダ、テロ、イスラムは怖い、というように話が繋がってしまう。人に話をするというのは、本当に難しいものだと感じます。

一つの言葉には、必ずその逆の捉え方があります。たとえば「痩せましたね」と声をかけると、「貧しそうに見えるのか」と思う人がある。人間は、つい言葉の裏を考えてしまいます。

そこで提案したいのは、「善意に解釈する」ということです。相手が本当に言いたいことは何かを素直な心で考えるのです。自分の心の状態によって、ある言葉を笑って聞き流せることもあれば、わだかまりを感じてしまうこともあります。何か否定的な思い、よくない考え、そうしたものが反応として出てくるときに、善意に解釈しようと務める。いいところを見つけようと努力する。そういうことが大切なんだな、と最近つくづく思います。

自分ではいいこと言ったと思っているんですけど、相手が知らないうちに傷ついている、そんなことがある。皆さんもそうだと思います。色んなことがあって、悪気があるわけじゃないむけど心に痛みを覚える。話に傷つく。そんな時、善意に解釈しようと務める。そのことを今日のミサで考えたいと思います。

復活の命、永遠の命に生きる喜びを感じるために、善意に解釈することを学んで学んでいきましょう。思い通りにならない時、これまでの考えを改め、回心して神さまに近づいていく喜びを感じられるよう、しばらく黙祷しましょう。

この説教本文は

平和の使徒推進本部が祇園カトリック教会主任司祭から転載の許諾をもらっています。

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