3月2日 S.オチョア神父(祇園カトリック教会,2014年3月5日確認)

カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 推進本部取組 / 第1の柱:平和

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最終更新日:2014年3月5日

祇園カトリック教会ホームページ(ブログ)「3月2日 S.オチョア神父」が更新されました。

説教本文

今日の福音朗読箇所は、聖書の中でも最もすばらしく、またよく知られている部分でしょう。アッシジの聖フランシスコが創設したフランシスコ会の霊性は、この箇所を礎(いしずえ)としています。

ここで語られているのは、食べ物が必要ない、ということではありません。何にも増して優先すること、本当に私たちが願っていることは何ですか、ということです。この福音朗読の箇所を文字通りに解釈したら、私たちの生活は成り立ちません。子供たちを養い育て、社会の中で働くことはとても大切です。けれども私たちにとって最優先されるべき目的はそのことではなく、神さまの栄光です。

子どもたちは勉強しなければなりません。しかしその目的は、偉い人になることではなく、神さまからいただいた才能を人々のために役立てることにあります。大人になれば、プロフェッショナルとして、自分のためではなく神さまのみ栄えのために働く。こう考えれば、社会はきっと素晴らしいものになるはずです。「あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」とイエスさまはおっしゃいます。お金のために働く、自分の利益のために働くのではなく、神さまのために働く。こう考えれば、働くことを軽んじてはいけないことがわかります。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」。私たちの目標は神の国、神の義を求めること。そのために社会の中で自分の役割を果たし、神さまの正しさと栄光を現すことです。

この考え方と正反対にあるのは、「執着」です。お金に執着する。おしゃれに執着する。食べ物に執着する。何かに執着し、依存してはいないか。自分を見つめ直す必要があります。

今日の答唱詩編はすばらしいものでした。
 ―あれ地のかわきはてた土のように 神よ わたしはあなたをしたう―

聖書で語られる「したう」の本来の意味は、あなたの顔が見たい、あなたの顔を探している、ということです。そのように神さまをしたうなら、
 ―わたしは静かに神を待つ わたしの救いは神からくる―

という心を得られるでしょう。

ここしばらくの間、私は毎日のように病院に行き、ヴァルス神父さまを見舞いました。最初の頃は、「あの本が読みたい。この本を持ってきてください」と言われました。彼が幼い頃から何度も繰り返し読んだ、ラテン語の「イエスに倣いて」という本を持ってきてほしいと言われたこともあります。しかしヴァルス神父さまは、だんだん本を読むことも難しくなりました。2週間ほど前からは、「もう本はいらない。持って帰ってください」と言われるようになりました。亡くなる少し前には、ただ一つの「持ち物」である歯ブラシと歯磨きも、いらないから持って帰ってほしい、と言われました。そして最後には、彼は何一つ持たず、神さまへの愛だけを持って、天に召されました。

※2月28日、ラモン・デ・ヴァルス神父さまが帰天されました。心よりご冥福をお祈りいたします。(祗園教会・信徒会) 

この説教本文は

平和の使徒推進本部が祇園カトリック教会主任司祭から転載の許諾をもらっています。

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