2月9日 S.オチョア神父(祇園カトリック教会,2014年2月11日確認)
カテゴリー(記事区分): 教区取組 / 推進本部取組 / 第1の柱:平和
キーワード(索引語): ミサ説教,典礼秘跡,祇園教会,祈り・福音の教え・信仰教育
最終更新日:2014年2月11日
祇園カトリック教会ホームページ(ブログ)「2月9日 S.オチョア神父」が更新されました。
説教本文
「あなたがたは地の塩である」。「あなたがたは世の光である」。
この言葉は聖書の中で最もよく知られているものの一つでしょう。キリスト教徒もそうでない人も、世界中のたくさんの人たちが知っているに違いありません。
ではイエスさまは、この言葉をいつ話されたのか。これは「山上の説教」の「真福八端」、すなわち「心の貧しい人々は幸いである」から「義のために迫害される人々は幸いである」に続いて、イエスさまがおっしゃったこと、いわば「山上の説教」のまとめの言葉です。つまり「地の塩」「世の光」とは、「心の貧しい人」「悲しむ人」「柔和な人」「義に飢え渇く人」「心の清い人」「平和を実現する人」「義のために迫害される人」を指しているのです。
塩と光について少し考えてみましょう。21世紀に暮らす私たちも、塩のありがたさは認めています。しかしそれは調味料としての効用です。昔、塩はもっと重要な役割を持っていました。冷蔵庫のなかった時代、人々は食べ物を長持ちさせるために塩漬けにしました。塩は、味をよくするだけでなく、ものを腐らせない、私たちがダメにならないように、という意味も含んでいるのです。
光についてはどうでしょう。電灯のことをイメージしてはいけません。復活ローソクを思い起こしてください。また一昔前までは、聖櫃の前には油のランプが置かれていました。光がないと闇の中を歩むことはできません。光よって導かれるのです。たとえば昔、船は星の明かりを頼りに航海していました。
塩と光には共通点があります。塩は溶けてなくなることで味をつけます。塩が塊のままだったら、塩味はつきません。ローソクも、ロウがが溶けてなくなることによって光を輝かせます。つまり、自分がなくなることで、まわりに尽くしているのです。私たちも自分の命を与えることで、塩となり、光となれます。これがイエスさまの示された模範です。
もう一つ、光にはすばらしい力があります。それは「温める力」です。私たちのそばにいる人たちが、温かさ、愛を感じてくれるなら、私たちは光になれます。特に女性の存在は大切です。家庭において、女性は家族に温かさを与える存在、すばらしい役割を与えられています。
余談ですがもう一つ。昨日、夜のニュースを見ていたら、雪が氷にならないように塩を撒いていました。そうやって、家に出入りする時、滑らないようにするそうです。ここでも塩は雪に溶けることで、人々の踏まれることで役に立っています。自分がなくなることで、みんなの役に立つ、これが生きるということです。誰のために生きるのか。私たちが全人類を見て、困っている人、悩んでいる人、飢えている人、孤独な人たちを助けることによって、地の塩、世の光となれますように。
この説教本文は
平和の使徒推進本部が祇園カトリック教会主任司祭から転載の許諾をもらっています。
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文書(ページ)情報
掲載日 | 2014年2月11日 |
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更新日 | 2014年2月11日 |
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推進・区分 | 第1の柱:平和 |
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